見出し画像

百年の歴史 (コヘレト5:12-19, マタイ6:28-34) 新年礼拝

◆普通選挙法

あけましておめでとうございます。こういう挨拶に、私は正直不信感を懐いていますが、いまはそのことには拘泥しません。この「明ける」ということで思い出すのは、「明けない夜はない」という励ましの言葉です。辛い立場のひとに、無神経にこうした言葉をぶつける人がいますが、基本的にこれは自分自身に向けて言えばよい言葉なのだろうと思います。
 
ところで、聖書の世界に戻って考えてみると、「明けない夜はない」という言葉は、何かしっくりこないような気がしてなりません。
 
「明日のことは明日自らが思い煩う」と、今日お開きしたマタイ伝の最後のところにありました。でも、この「明日」とはいつなのでしょう。イスラエルの文化では、日没と共に一日が始まるのでした。だからクリスマスの夜は、実はクリスマスの日の始まりにほかなりませんでした。「明日」は、日没後直ちにやってくるのです。夜は更けます。気温がどんどん下がってゆきます。それが、「明日」の一日の始まりから半日の間の成り行きでした。ますます寒くなる世の中が、すでに「明日」であるわけです。従って、イスラエル風に捉えると、夜の闇の中に、明日が始まる感覚でいることになるわけです。
 
さて、「百年前新聞」というSNSがあります。現在からちょうど百年前の出来事を綴るのです。懐かしいと実感することはできませんが、歴史で学んだことがそこに見られます。それから百年経ったのか、と驚くような気もします。
 
今年ならば、1925年の出来事が早速そこに報じられています。この年、キリスト教の世界では、さして大きな出来事が記憶されているわけではないようです。しかし、中学生が学ぶ歴史においては、どうしても覚えなさいと指導するものが三つあります。大人になると、なかなかパッと出てくるものではないでしょうが、教える側はいつも強調します。
 
2025年を迎えましたが、この百年前の出来事が、いまどうしても弁えておきたいこととして迫ってくるため、新年のメッセージとして、1925年に光を当てて思い起こすことにしました。
 
1925年に覚えることは、まず「普通選挙法」です。国立公文書館の解説によると、こう説明されています。
 
「第1次加藤高明内閣は衆議院議員選挙法改正法律案を第50回帝国議会に提出。貴衆両院での修正を経たのち可決成立した同改正法(普通選挙法)は、大正14年(1925)5月5日に公布されました。これにより、選挙人資格から納税要件が撤廃され、満25歳以上の男子に選挙権が与えられました。」
 
1889年の衆議院議員選挙法においては、25歳以上の男子の中で、「満一年以上直接国税十五円以上を納める者」に限って、選挙人となることができました。これだと、1920年において人口の5%余りだけが選挙できたことになります。それが、普通選挙法で20%に増えたと言われています。
 
女性の参政権は依然としてありません。しかし、世界的に見ても、女性がようやくぼちぼちと選挙できるようになってきた時代でしたから、日本が特別に遅れていたとは言えないように見えます。
 
そこで、男子だけだとはいえ、普通選挙法は、金持ちだけの選挙ではなくなったことで、自由民権運動の求める社会がひとつ実現したことになりました。かつて一方的に明治政府が決めたままに社会を動かしてきた歴史が、その最初の世代が途絶えたことで、新しい世の中に変化しようとしてきたことを意味していたようにも思われます。
 

◆治安維持法

しかし、この「普通選挙法」は、歓迎されない法律とセットで認められた形になりました。「治安維持法」の登場です。これについても、国立公文書館の解説を見てみましょう。

「大正14年(1925)4月21日、治安維持法が公布されました。この法律は、第1条第1項に「国体ヲ変革シ又は私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」とあるとおり、「国体」の変革と私有財産制度の否認を目的とする結社を組織することと参加したりすることを取り締まることとしました。」
 
これは百年前に成立した法律です。なんだか古い時代の遺物のように感じるかもしれません。しかし、2013年に公布された「秘密保護法」(特定秘密の保護に関する法律)は、「特定秘密」とされたことについては、漏らした人も、知ろうとした人も、懲役10年の刑を受ける可能性を示しています。その後のインターネットの発達を受けて、それの運用は案外切実なものとなり得るかもしれません。治安維持法とは趣旨が異なりますが、注意すべき事態ではないでしょうか。
 
「治安維持法」は、それ以前に「治安警察法」という形でできていた法律が、恐らくロシア革命や米騒動が起きたことを気にしつつ、より厳しい形へと発展したものだと言えるでしょう。さらに3年後には、国体変革や結社に関して、厳罰化が加えられていますし、それが1941年になると、さらに締め付けられてゆくようになりました。
 
この「治安維持法」は、キリスト教にとっても大きな影響を受けるものとなりました。他の宗教団体への適用もありましたが、キリスト教に対しても同様でした。とくに「ホーリネス系」の教団などは、安易に政府に同調しなかったために、激しい弾圧を受けたと言われています。逆に言えば、多くのキリスト教団体は、政府の要請に応じていったことになります。
 
この「ホーリネス弾圧」は、日本のプロテスタント教会が受けた最大の迫害であると見られます。私はこの詳細について知る者ではありませんので、ぜひそれぞれの方がお調べになり、お考えになることを希望します。他方、日本基督教団は、この弾圧に手を貸すような発言すらしていたというのですが、そのことについて謝罪したのは、40年後のことでした。
 
「天皇と神とはどちらが偉いか」というような問いは、いまの世の中では愚問かもしれませんが、これはかつては人の生死を分ける、一種の「絵踏み」のようなものでした。天皇家も古いかもしれませんが、「教会」こそ、最も古い時代から続いている「王家」のようなものです。キリストの現れのときから、いまなお「教会」は続いているのですから。
 
天皇の写真を礼拝するかどうか、あるいは国体に反することを話していないかどうか、教会の礼拝を憲兵が見張っている、という情況もあったそうです。しかし他方、一般市民も、教会を監視し、石を投げたり嫌がらせをしたりすることも日常的だったと聞きます。それを思い出のようにして描いた、妹尾河童の『少年H』は、ぜひお読み戴きたい小説の一つです。
 
私たちは、「治安維持法」の単なる被害者である、と考えることはできません。加害者でもあり得るということを、よく弁えておきたいと思うのです。この見方ができる人こそが、「キリスト者」である、と私は思います。愛が冷えた教会で、愛に背を向けている「クリスチャン」といった姿は、決して他人事ではないのです。
 

◆ラジオ放送開始

中学生の歴史の学習で、1925年というエポックに必要な、第3のポイントは、「ラジオ放送開始」です。1925年3月22日9時30分、JOAK、いまのNHK東京ラジオ第一が放送を開始しました。アメリカでも1920年に商業放送が開始されたということで、世界の中でも進んでいた方ではないでしょうか。
 
「伊集院光の百年ラヂオ」というラジオ番組をご存じでしょうか。私は初回から欠かさず聴いています。放送時間がちょうど礼拝中なので、「聞き逃しらじる」の有り難さを覚えます。放送終了後1週間、好きなときに聴けるのです。番組は2023年初めから放送されており、貴重な音源が紹介されます。
 
とはいえ、当時のラジオ放送の録音というのは殆ど残っておらず、番組スタッフがあちこちから探し出してようやく見つかったものも少なくありません。時にリスナーに呼びかけて、一般家庭に保存している録音がないかと募っており、それで提供された貴重な音源が紹介されたこともありました。
 
伊集院光氏は、Eテレの「100分de名著」の司会においても活躍しており、優れた世界の著作について一か月間学ぶこの番組も、私にお気に入りのひとつです。講師との打ち合わせなく伊集院氏が語るその理解は、実に的を射たもので、そのことは出演講師が何人も証言しています。本質を突いた質問や理解を話し、非常に質の良い番組となっています。
 
その伊集院氏が、これまたラジオ放送についても良い解説を入れてくれています。ラジオ放送開始から百年を迎えるその一年前からの放送で、この「百年」という時について待ち構える姿勢を私たちにつくってくれています。紅白歌合戦はもちろん、NHKのかつての名番組、作家や著名人へのインタビューを初め、教育番組やお笑い番組、ラジオドラマなど、単に懐かしさを誘うばかりでなく、当時の社会や世相を知る上でも、非常に有意義な振り返りとなっていると思います。
 
その頃には、人はこのように考えていた。私たちが忘れていたり、忘れようと努めていたりすることが、まざまざと再現されます。時折「アンコール放送」と題して、お休みをとることもありますが、過去を知るために、実に好い機会となることでしょうから、強くお薦めする次第です。
 

◆ラジオの影響

このラジオというものは、新聞よりも速報性が高く、また、耳から入る情報は、心情に強く訴え、心に残ります。そして時代や歴史をつくっていった、ということもできるのだと思います。
 
ベルリンの壁の崩壊の背景には、東ドイツの中に、西ドイツの電波放送が届いていたことにより得られた情報から、東ドイツ国民が立ち上がっていった経緯が、どうやらあるようです。あるデータによると、西側のテレビ放送でさえ、東ドイツの7割ほどの地域では受信可能であったそうです。短波放送となると、全世界からの情報も受信可能で、日本からの電波もそこには届いていたという話もあります。
 
北朝鮮はこうしたことを恐れて、時刻の放送しか聞けない受信機しか認めていないという話を聞いたことがあります。もし韓国の放送が受信できるように受信機を改造でもしたら、見つかれば収容所送りになることでしょう。そういう人が隠れて存在していることも、当然予想されます。
 
しかし、このラジオというメディアは、いまの北朝鮮のように、統率の中に置かれると、恐ろしい力をも発揮しました。日本でも、いわゆる「大本営発表」が、唯一の戦況報道ができる機関から出される情報で、特に後半では、悪化した戦況を優勢だと繰り返し流すことをしていたと言われています。そのため、戦後は、権力者の発表が自分に都合の好いことばかりであるとき、それを「大本営発表」と揶揄するようにも使われるようになりました。
 
戦時中は、このラジオの情報しか庶民には伝わりませんでしたから、思想統制のために使われた、いうことになります。こうした権力に基づく社会統制ではありませんが、いまはコマーシャルメッセージが、一定の信頼の下に出されているため、後々実は危険物質であった、などと問題になることもあります。一向になくならない詐欺も、人が「信頼」を大切にしている心を利用して騙すので、許しがたい犯罪だと言ってよいだろうと思います。
 
インターネット世界でのデマは、個人を騙すばかりでなく、正当な社会制度を歪めて、取り返しのつかないことへ導く点で、深刻です。デマや噂の拡散により、選挙の投票に影響が出ると、正当な選挙による選出とされて、社会が全く別の方向に、しかも正当に動いてゆくという事態を招くのです。
 
ラジオのように一斉に、一方向的に、信頼されているという前提の下に流されてくる情報は、悪意をもつ者が操れば非常に危険な道具にもなり得ます。歴史がそれを証明しています。いまは双方向の情報が可能になりましたが、だからこそ逆に、無責任な個人に発する情報が、適切な情報と玉石混交のままに飛び交っているのが現状です。
 

◆聖書の百年

ようやく聖書の中に飛び込むことにしましょう。聖書は、いわばこのラジオのように、情報を一方向に届ける役割を果たしてきました。当初は、神がアブラハムやヤコブなどに、直接情報を伝えました。ラジオ番組でリクエスト葉書を出すかのように、アブラハムから神へ意見を言うこともありましたが、番組を運営するのは一方的に神のほうでした。
 
しかしそれは、極めて個人的なレベルでした。神がアブラハムに語りかけ、アブラハムが動く。神がヤコブに語りかけ、ヤコブが動く。それだけでした。ところがモーセが現れたとき、この形が変わりました。神がモーセに語る。ここまでは同じですが、モーセはその神の言葉を、イスラエルの民に語ります。実質、モーセの言葉が、イスラエルの民を動かすようになりました。
 
モーセがラジオというメディアになったようなものでした。やはり方向はひとつです。それは人間の代表が、人間の集団に及ぼす、強烈な思想統制となりました。モーセに背反した者は神に背く者となり、コラたちは死ぬ運命となりました。その他、律法に反して偶像礼拝をした民には死すら与えられました。これは思想統制どころではありません。非常に強引な政治であったことは、確かです。
 
預言者ダニエルの書には、金の像を拝めとネブカドネツァル王の時に迫られ、ダニエルの三人の友がそれに従わなかったという話もありました。燃える炉に入れられましたが、神に助けられて生きることができました。こうして神に従う者が称えられるのでした。「金の像を拝め」という法は、いかにも悪辣な、悪魔的な法律であると憎まれるように描かれています。しかし、主に従わない民を葬ったモーセのやり方も、実際やっていることは、これと紙一重ではないでしょうか。
 
一旦聖書の側に自分が立っている、と自覚すると、私たちは、「聖書が正しい」と言うとき、実は「自分は正しい」ということを自ら認めていることにもなってしまいます。「聖書信仰」とはいったい何であるのか、私たちはもっと深く考える必要があるのだと思います。本当は、私は神とは反対の側に立ち、神に背いていたのではなかったのでしょうか。それをいつの間にか忘れてしまい、人間はいとも感嘆に傲慢になってしまうのです。
 
けれども、それでもやはり、聖書はひとを生かす言葉に満ちている、それが私たちのスタンスです。その聖書にとり、「百年」という時は何を意味するものなのか、少しだけ様子を見てみようと思います。
 
50年という時が話題になることがあります。この区切りは「ヨベルの年」と呼ばれ、借りたものがその期間で無かったことになる、という律法です。本当に行われたのかどうかは定かでありませんが、イスラエルの律法を特徴付けるひとつの歴史です。しかし「百年」という区切りが重視された様子は、聖書を見るかぎり感じられません。
 
しかし「旧約聖書続編」の中には、「百年」という言葉がちらほら見えます。「シラ書」または「集会の書」と呼ばれるもまので、そこには、人の生涯の最大値のように記されているのです。
 
人の寿命は、せいぜい百年。/〔しかし、誰にとっても、その永遠の眠りは/計算できない。〕(シラ18:9)
 
これは、すべての肉なる者に主から下される/宣告である。/なぜ、お前はいと高き方の御旨に逆らうのか。/十歳でも、百歳でも、あるいは千歳でも/陰府では、寿命は問題とならない。(シラ41:4)
 
百歳というのは、果たしていたのかどうか分からないほどの高齢に聞こえます。新約聖書には、イエスが誕生後神殿に連れられたときに、女預言者アンナが登場しますが、この年齢が84歳だと明記されています。この数字は、イスラエルにとっての神聖な数である7と12とを掛け合わせた数であろうと思われますが、実際その年齢の人もいたように推察されます。創世記の初めには、途方もない年数が人間の一生のように書かれていますが、それよりはだいぶ現実的に見えます。
 

◆思い返すな

「先週」と呼ぶその時は、いまではすでに「去年」になってしまいました。そのとき私たちは、何を見たでしょうか。私たちは過去を常に見つめるべきであること、それから振り返るようにして未来を、あるいは将来を見る「信仰」の眼差しを体験しました。この構図の中に、皆さまをお招きしました。
 
私たちは過去をしっかりと見よう。目を逸らさず、これまで自分が神に導かれてきたことを心に納めよう。そのように思います。そうすると、改めて振り返って未来というものを考えたい、見つめたい、そんな気がしてくるのでした。
 
すると、なにげない現代の「常識」の中では気づかなかった、聖書の別の姿が見えてくるようにも思います。たとえばコヘレト書の中にある言葉を掲げてみましょう。
 
人は人生の日々をあまり思い返す必要はない。
神がその心に喜びをもって応えてくれる。(コヘレト5:19)
 
過去のことなど考えなくてよい。私も、そのようにずっと読んでいました。私たちが先週、過去を否応なきまでに見つめなければならない、としたこととは、正反対のことのようにも思えます。私たちは、そのスタンスにいまいます。過去は「思い返す」ようなものではない、としました。振り返って思い直すようなものが過去ではない、というように捉えたのです。
 
このコヘレトというのはかつて、ソロモンのことか、とも考えられていましたが、その後は否定されているようです。でも、何かしらイスラエルの知恵ある者であることは確かです。そしてイスラエルは、これを貴重な人間の知恵として受け止めて、今日まで守ってきました。このときコヘレトも、過去を目の前に、正面から見つめていたに違いないと思うのです。その姿勢のままに、このようなことを言ったのだ、と思うのです。いまの言葉が登場するまでのその言葉を読み返してみましょう。
 
12:太陽の下で私は痛ましい不幸を見た。/富を蓄えても、持ち主には災いとなる
13:その富はつらい務めの中で失われる。/子が生まれても、その手には何もない。
14:母の胎から出て来たように/人は裸で帰って行く。/彼が労苦しても/その手に携えて行くものは何もない。
15:これもまた痛ましい不幸である。/人は来たときと同じように去って行くしかない。/人には何の益があるのか。/それは風を追って労苦するようなものである。
16:人は生涯、食べることさえ闇の中。/いらだちと病と怒りは尽きない。
17:見よ、私が幸せと見るのは、神から与えられた短い人生の日々、心地よく食べて飲み、また太陽の下でなされるすべての労苦に幸せを見いだすことである。それこそが人の受ける分である。
18:神は、富や宝を与えたすべての人に、そこから食べ、その受ける分を手にし、その労苦を楽しむよう力を与える。これこそが神の賜物である。
 
過去をしっかりと見つめています。世の不幸から目を逸らしません。そこにあるのは「痛ましい不幸」ばかりです。私たちもまた、災害に喘ぐ人の報道を見聞きします。辛い気持ちになります。地震で倒壊した家のないままに避難生活を強いられていましたら、今度は洪水でそこも流される。いたたまれません。
 
だがそこに幸せが絶対に無いのか、と言うと、コヘレトはそうではない、という見方を明らかにします。「すべての労苦に幸せを見いだす」ことは不可能ではない、とするのです。いま食べているからこそ生きている、それならばその与えられたものにより、神を思うこともできるのです。
 
正面に見つめている過去の不幸を、ただの不幸でしかない、というように意味づける必要はない。神はそこに「喜び」を与えることができるのだ。このことは、被災者に向けて私がここから高みに立って言うようなセリフではありません。ただ私の問題として、過去だけに縛り付けられることなく、そこから「振り返って」、神の用意してくださっている「将来」のことを信じたい、と思っているだけなのです。
 

◆思い煩うな

最後に、もうひとつ、慰めを与えるマタイ伝を6章から聞こうと思います。
 
28:なぜ、衣服のことで思い煩うのか。野の花がどのように育つのか、よく学びなさい。働きもせず、紡ぎもしない。
29:しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
30:今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
31:だから、あなたがたは、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩ってはならない。
32:それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみな、あなたがたに必要なことをご存じである。
33:まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはみな添えて与えられる。
34:だから、明日のことを思い煩ってはならない。明日のことは明日自らが思い煩う。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
 
笑い話のようですが、「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩ってはならない」という言葉を聞いて、「どれを食べようか、飲もうか、着ようか、選ぶのに迷っちゃうな」という意味で読んでしまった人がいたかもしれません。
 
もちろん違います。選ぶのに迷うのではなくて、食べるものに事欠くのです。着る服がないのです。でも、イエスは言います。思い煩う必要はない、と。この「思い煩う」という言葉は、「心が分かれて散り散りになる」意味を含みもつのだそうです。「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」(ルカ16:13)とイエスが言ったことがありますが、私たちの心は一筋でありたいものです。思い返したところに足を引っ張られることがないように、神が与える喜びを抱きしめたいものです。
 
そこで、「まず神の国と神の義とを求めなさい」というここでの言葉が効いてきます。意味は難しい、と思う人もいれば、機械的に教科書的に説明するような人もいます。意味を正しく理解しろ、という求めに応じる必要はありません。ひとのその置かれた場所や時に応じて、その言葉と出会い、受け止めればよいのです。その言葉が、いまあなたの助けとなればよいのです。
 
たとえば私たちは今日、「百年」という時間のスパンの中で、聖書の言葉を受け止めるようにしてみました。百年前、確かに聞こえのよい「普通選挙法」が公布されました。しかし同時に、恐ろしい罠としての「治安維持法」が待ち構えていました。先般の、韓国の「戒厳令」による混乱は、隠れた法律の恐ろしさを私たちに教えたのではないでしょうか。
 
この年、偶然にラジオ放送が始まったことも確認しました。ラジオは、その後情報伝達のメディアとして発展し、テレビへとつながり、いまはインターネットにより、双方向どころか、網の目のように張り巡らされた情報網が世界を覆うようになりました。一人ひとりの掌の中に、その情報端末がある時代です。これは、情報という分野では革新的な新世界の始まりだと言えます。これが社会や教育、そして人々の思考を、どのように変えてゆくのかは未知数です。信仰も、これに影響をどう受けるのか、私にはまだよく分かりません。
 
ここからどのような歴史を刻むのか、それは、私たちの態度如何に拠ります。私たちの決意次第で、未来の生活や社会、そして世界の平和も、変わります。次の時代の世界を担う子どもたちを、どう教育するのか、それによっても、変わってきます。
 
百年の新たな歴史は、この私たちの考え如何によって、いまここから始まるのです。

いいなと思ったら応援しよう!