一粒の麦と永遠の命
その日は、妻の父親の誕生日であった。2年前に亡くなった方であるが、誕生日を忘れないようにしている。今年は主日となり、礼拝に加わった。「聖徒の日」の礼拝であった。教会によっては、「召天者記念礼拝」などともいう。その時期としては、歴史を変えたリスボン地震が起きた「万聖節」の頃をとったり、日本の彼岸に近づけたり、様々なスタイルがあるようだ。
こうした厳粛な思いに包まれる礼拝で、なんの深みも共感もできないような説教がなされるのは悲しい。「死についての様々な痛みや思いを抱く時に、イエスこそが共におられるのだと言うことを思い出していただきたいと思います」というような、教科書に書かれてあるようなことを喋られても、残念ながら心も魂も、何も動かされることはないだろう。
しかしこの教会では、言うまでもなくその説教には命があり、心がある。信仰があり、共に喜び共に泣くという出来事が生まれる背景がある。聖徒の日の場合でも、教会員に限定せず、教会に関わったいろいろな故人を含めて覚えていく、というのが温かい。また、教会によっては、故人の写真を講壇の前に並べて偲び、また礼拝の終わりで一人ひとりの名を挙げるというところもあるが、やはり礼拝の中心は神であるという点を思うと、そうしたことをカットしたこの教会のスタイルは、健全であるように思われる。
黙示録の連続説教はひとまず休憩して、「死」という問題と向き合う礼拝であった。黙示録でも、そのテーマは大いにあろうかと思うが、そこは目的を換えていくのであろう。選ばれた聖書箇所は、ヨハネによる福音書の12章の中盤である。ここには、特によく知られた聖書の言葉がある。
12:24 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
基本的に、ここに的を絞り、焦点を当てて語られたのだと思う。この前後も朗読されたが、それらを解説しようとする気配はなかった。聖書の説明を犠牲にしてでも、このイエスの「死」を睨んだ言葉の中に留まり、深めていくという時間が、私たちに与えられた。
先週は、私の回心にまつわる聖書箇所が「歴史的礼拝」で開かれて、私も胸がいっぱいになったが、今日もその共鳴は続いた。というのも、私が洗礼を受けた教会は、この一粒の麦の名を掲げていたからである。
その前に初めて足を踏み入れた教会はほかにあるのだが、そこは戦いの場であったのと、妻と出会うための場であった、と理解できようかと思う。実質信仰を育まれた教会は、この一粒の麦の名の教会であった。だから、ここは自分の信仰の形成にあたり、原点であると言ってよい聖書箇所なのである。
しかしその教会は、ただ一粒の麦で終わりはしなかった。同時にその教会の名には、復活のキリストのことも証しするものが含まれていた。ペトロが「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」とイエスを諫めたことがあった。イエスはそのとき何を言ったのか。自分は殺される、という部分だけをペトロは問題にしたのだが、イエスは、復活する、と告げていた。死だけでメシアの活動が終わるはずがなかった。復活があってこその死であったのだ。
けれども、一気にそこに行くのがいつでも得策であるとは思わない。あるときには、じっくりとその「死」について、しっとりと、しみじみと、噛みしめることが必要なのだ。このたびの礼拝は、そのための時間をたっぷりと共有するために設けられたような気がする。
言うまでもなく、この一粒の麦というのは、イエスのことを表わしているに違いない。だが、それはイエスに従う者もそうなのだ、と知らせている。説教は、そこを目指して流れてゆく。
過越祭に、ギリシア人が来ていて、イエスに会いたいと願う。弟子たちを伝手として、この話がイエスに届いたとき、あの言葉をイエスは感慨深く言ったのだ。
12:24 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
どうしてギリシア人がこの言葉を生んだのか。真実は分からない。説教者は、世界へイエスの言葉が拡がることをイエス自身感じたのであろうか、というように話した。すでにユダヤ人も各地に散らばっている時代であった。その神信仰について知ったギリシア人が、関心をもつことがあったかもしれない。ギリシア語を話すユダヤ人、というような言い方が聖書にはあり、言語と民族との間には、様々な事情があった。どうも邦訳聖書でも、その辺りの訳し方が不正確であったり、誤解を招いたりする場合があるようだから、訳語だけから決めつけないように気をつけたほうがよさそうだ。もしかするとここでも、ギリシア語を話す人たちのことであったのかもしれない。そして、ヨハネ独自の思惑めいたものが隠れている可能性も含めて、謎のように捉えておきたいと思う。
だが、空想することが禁じられているわけではない。また、聖書の言葉を個人的にどう受け止めるかということは、逆にその人にとって大切な出来事であるとも言える。
12:32 わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。
ギリシア語、それは新約聖書の言語である。その経緯はここでは触れられないが、ここに現れたギリシア語を話す人たちが、新約聖書を予感させ、そして現にこうしてヨハネがギリシア語で記していることを引き寄せながら、「すべての人」を引き寄せることへとパースペクティブが拡がる世界観を、私は感じている。映像なら、カメラを備えたドローンがイエスのところから舞い上がり、エルサレムから次第に視野を拡げて、世界へと救いのメッセージを届けにいくような様子を思い浮かべたのである。
説教者が語った、死から命へのメッセージは、ここでは再録しない。説教を単純に要約するのが目的ではないからであるし、それだけの量を賄えないからだ。ただ、受けたものは触れなければならない。死者に対する素朴な感情に寄り添いながら、しかしその後悔すら混じる死者への思いについても、その死の先にイエスがいるというところを見ようではないか、と呼びかけるものを覚えたことを、告げたい。
12:25 自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。
説教者が触れたように、これは謎めいた言葉である。自分の命を「愛する」というのは、神の愛を特に示す傾向のある語でもないし、ひたすら恋い焦がれて求めるような愛を表わす語ではなく、友情的なイメージのある語である。自己愛の故に他を顧みないような生き方、自己中心的な雰囲気で捉えてみてはどうだろう。自分の命を「憎む」というのは、ひとつには嫌う意味をももつものだとすれば、そうした自己中心的なものに嫌悪する気持ちを重ねてみたい。それはやがて悔い改めというものにもつながるであろう。
ここに「永遠の命」という言葉が使われていることも興味深い。これは、四福音書で比較すると、圧倒的にヨハネによる福音書に多い言葉である。旧約聖書には基本的になかった概念であり、旧約聖書続編の頃に芽生えてきたような捉え方のようである。そしてイエスの時代には、一部のユダヤ思想を除くと、庶民にも永遠の命への希望が増進してきていたように思われる。
こうして見てくると、この節でイエスが言った言葉は、命を失う道と命を保つ道とを指し示していることになるようである。そのためには、イエスに仕えることが勧められている。「仕える」ということは「従う」ということでもあるだろう。それはまた、救いということの案内図になっているのかもしれない。
しかし先にも挙げたように、説教者はむしろしみじみと、故人のことを思うことを大切にしたい、と提言する。そして、19歳のときに失った友人の逸話を語った。そのショックの中で、その友人の両親が洗礼を受けるに至ったことや、慰めに別の友人が送ってくれた言葉を噛みしめ、その意味を次第に深く知っていく様子を語った。そのとき、その隘路に広い道から射す光であるかのように、ヨハネによる福音書の別の箇所からひとつの言葉を引く。
14:19 しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。
世には、イエスは見えない。だが、キリストに従う者たちは、イエスを見る。イエスが見える。これもまた、先週の歴史的礼拝で強調されたことである。こうして説教がリンクし、リレーされていくというのは、説教の世界が拡がり、深まることを感じ、感慨深い。
私たちは、イエスが見える。イエスは復活して生きているということを、心身すべてで知っている。私はイエス・キリストが死んだが故に実を結んだ穂の一つとしてここにある。私もまた、かつての自分に死んだ。それだからこそ、私はイエスにより生かされたのだ。このことを断固として証言する。この生き様でそれを示す。この私から、また一粒の麦が実ることを期待する。そしてそれがまた、新たな命を生みだしてゆくのだ。永遠の命に至る命を。
説教の終わりの力あるメッセージは、凡そこのような風を吹き付けてくれたような気がする。私の自分勝手な受け取り方かもしれないから、その点については、私の責任で綴った、ということをここに明示しておくようにしたい。