ペルガモンにある教会への手紙
黙示録を、礼拝では読み進めている。七つの教会への手紙の3番目、ペルガモンにある教会の天使に書き送るべきものが指示される。どの教会へも、「耳のある者は、霊が諸教会に告げることを聞くがよい」というフレーズが加えられている。だが、心得ておくべきだと私はいつも思っている。私たちは、ちっとも聞いていない、聞こえていない、と。全く気づかないことが、どんなにたくさんあることか。自分は何でも知っている、というところまでいくと病的だが、私たちは殆ど何も、気づいてなどいない、という前提からスタートすべきだ、というのが私のスタンスである。
だから、意志的に、神の言葉を聞こうと努める。聖書を読むときのみならず、なにげない読書でも、人の話でも、そこに神のメッセージが隠されて届けられているのだ、という可能性を踏まえておくのである。説教者は改めて強調したが、「天使」の原語は、「天」という概念を含みはしないのだ。それは、メッセージを伝える者なのである。神からのメッセージは、「ここからしか届かない」という制限などないのである。
そして礼拝の説教は、その中心的なものである。礼拝においては、神から人への言葉と、人から神への言葉とが、交流するわけだ。私も、こういう形で、人から神への言葉に誠意を以てあたろうとしている。
説教者は、「耳のある者は、霊が諸教会に告げることを聞くがよい」という呼びかけの中に、私たち人間にこの神との交わりの中に、「参加してほしい」という願いが含まれている、と指摘した。こうしたところに、説教者の信仰があり、自身の神体験や牧会の核心などが滲み出てくるものであろう。この「参加」というのは、今日のこのときだけをいうのではない。幾度も、いつでも、そして生涯神の言葉を聞け、その熱情を感じ取ることが、私たちに、できただろうか。
牧師が、渾身の説教をする。いくら自分の中に与えられたものと、自分の中にこれまで培ってきたものを流し出すとはいえ、ひとが聞いて受け取りやすいような形に整えるのは大変な労力である。もちろん、改めて学び直して知ることもあるだろう。これだけで悲鳴を上げそうだろうと思うのに、ひとに対して手間と時間を惜しまず使う、その務めには敬服するしかない。教会に出向くことのできない教会員を訪ねる、それはよく聞く。だが、尋ねる目的として、「聖餐」のために訪ねる、となると、これはただの人間の関係でないことがよく分かる。これは、神と人との間の出来事なのである。教会に来なければ聖餐に与れないということが、決定的に拙いという感覚。それは当然のことのように思えるのに、私は殆ど聞いたことがない。
そうして訪ねた場では、たとえば認知に問題のある方もいるだろう。だが、賛美歌に反応する現場を目撃するということを、説教者は証しした。感動的な場面である。そこは、やがてくる死を待つだけの場になりそうだと思いきや、そうではないのだという。そして付け加える。「主イエス・キリストを愛する者は、すでに死に勝っている」という、加藤常昭先生の、最後になる可能性のある説教の中で放たれた言葉が、不思議な輝きをもって響いているのだ、と。その深い意味は私にはまだ分からないが、ひとつの大きな課題として、大切に懐いていようと思う。
では、その勝利とは、いつ与えられるのだろうか。「すでに」というからにはもう信仰において与えられているに違いない。こうした勝利は、常にすでにここにある。加藤常昭先生は哲学を学んでいるから、そして時期的にもハイデッガーの鮮烈なデビューを知る頃であるだけに、こうした配慮について、聖書を理解するときにもきっと何かしら感じるところがあったのではないか、と勝手に推測してみる。
説教者は、ヨハネによる福音書のシーンをひとつ取り入れて、そこにある苦難が過去のものではなく、繰り返し続いているという点を踏まえたものとして、勇気を出すこと、すでに勝利があること、そのイエスの励ましを再現した。この戦いは、主のものである。旧約聖書の中でも、そのように主から勝利がもたらされることが度々教えられていた。いま私たちにおいては、イエス・キリストが私たちの戦いを、すでにご存じなのである。それを神の言葉信じるのが信仰である。イエス・キリストが共にいる。私たちも、凹んでいるだけではいられない。立ち上がるのだ。祈りという形からでも。
イエス・キリストは復活されたのだ。命があるのだ。私は罪の器であるに過ぎないだろう。しかし、その貧しい器の中に、命の光は、圧倒的な力で無理にでも押し寄せてくる。イエスの十字架の形の穴が私の胸に空いていたら、そこからイエスの命が注がれてくることができるのである。
さて、バラムは旧約の歴史の中でははっきりしているが、「バラムの教え」や「ニコライ派の教え」が何を現しているのかは、確かに言い当てることは無理だろう。アンティパスの殉教は悲しいことだが、その内容が伝えられているとは言えない。だが、これらはいずれも「苦難」であるには違いない。異端的な教えには、どうやらペルガモンの教会は、惑わされているように描かれている。これについては、悔い改めなければならない。
だから、悔い改めよ。あなたが勝てない相手であっても、イエス・キリストが駆けつければ、勝利は間違いない。問題は、悔い改めることである。方向転換をすることである。さすれば、勝利が与えられるというのだ。そのとき、「隠されたマンナ」と「白い小石」を与えるとの約束が語られて、手紙は結ばれる。
マンナは、もちろん出エジプトを果たしたイスラエルの民が、食糧がなくてモーセに不平をぶちまけたとき、神が与えた恐らく植物性の食糧である。森永マンナは、この物語を背景にして生まれた。創業者の森永太一郎氏の祈りが、この栄養ある菓子を世にもたらした。『菓商―小説 森永太一郎』は、この森永太一郎を描いた小説である。起業伝ではあるが、アメリカでキリスト者となり、天使をマークにするなど、信仰による人生が感動的に描かれている。
「隠されたマンナ」というのも謎である。ひとつの可能性だが、預言者エレミヤが、バビロン捕囚の波に巻き込まれた中で、契約の箱などを洞穴に隠したという話(マカバイ二2:5)があるが、いつか世の終わりの日に、隠していたマンナが与えられるというような思いが、どこかに伝わっていたのかもしれない。また「白い石」は、白は「潔白」のイメージがあったと言われているから、裁判での無罪を示すものであったのではないか、と推測する人もいる。真実どうであるか、私は知る由もないが、もし白が無罪を意味するのなら、黙示録の行き着くところにも相応しい気がするし、なにより罪人である私がイエス・キリストの贖いによって無罪とされるとする、救いのメッセージとしても力づけてくれるように思われる。
説教者は自由に、このペリコーペの言葉から聞こえてきたものを、私たちに惜しみなく提供してくれる。それをここですべて再現する必要はないが、高い丘であったペルガモンの地理から、ひとつの示唆を与えるのだった。つまりその丘の上に、ギリシアの神々の神殿があったというのだ。「そこにはサタンの王座がある」という土地の指摘にぴったりではないか。それは、早計な人がすぐにイメージするような、キリスト教徒への迫害の嵐、という情景を生んだわけではなかったものらしい。
しかし、キリストを信じる者たちは、望まぬ神殿に支配されるような生活を好んだわけではないだろう。今でこそ、基本的人権だとか政教分離だとかいって、そうした政治的宗教のあり方に対しては、いくらかでも文句を言えるようになったが、必ずしもそれが徹底されているわけではない。例示はしないが、キリスト者から訴えられる「信教の自由」についての裁判も多々あるし、逆にキリスト者であっても、その子どもたちの立場から「宗教2世」という呼び方で批判がなされることもある。社会が変化するにつれ、単純に聖書を原理として考えていくことはできなくなっていく。だが私たちは、聖書の原理を、あるいはスピリッツを、活かすことはできるはずだ。私たちは、そのような「霊」に生かされているのであるから。
イエス・キリストの戦いは、敵を滅ぼすものではなく、敵を救うものであった。この、説教者の謎の言葉も、旧約聖書の中に描かれるような「正義」とは異なることへ、私たちの視点を移す必要を迫るものなのかもしれないし、なによりも神の敵であった私が滅ぼされずに救われたというところにこそ、重きを置いて捉えるべきものであったのかもしれない。
しかしどうであれ、聖書がつねに答えを与えようとしているのではなく、その曖昧さに耐えつつ、私たちがいっそう考え、祈り、支え合うようになっていくことが求められている、という方向で聖書を受け止めていくことが、いまの時代、これからの時代、ますます必要になるのではないかと思われる。
それから、説教者が実際に訪ねたある教会の逸話が紹介された。七つの教会の一つにあってもよさそうな教会であった。山田教会という。三重県の伊勢市にある。伊勢神宮の社家の出である中須治胤(なかすはるたね)という人がキリスト者となり、19世紀末に伝道を始めた。教会堂は、伊勢神宮のほぼ真正面にあった。明治期のこと、伊勢神宮の前に十字架を掲げられなかったというのだ。そこで信徒は、軒瓦に一つひとつ十字架を焼き付けた。この中須のいとこだった河井道は、そのスピリッツを受け継ぎ、1929年に恵泉女学園を創設することになる。キリスト教系の学校である。
一人のすることは、小さなことかもしれない。だが、神の前に誠実に事に当たるならば、その小さな種が、百倍の実を結ぶというのは、本当のことなのだ。
説教者はまた、「時代精神が唆す」という警告を与えた。これは私も常々言っている観点と同じものであると思う。説教者は、「効率主義」や「自己実現」といった言葉を挙げた。まだまだある。考えようによっては、「民主主義」ですら、そうなりうるのだ。そして、いま教会で当然のように正しいとされているような概念もまた、いつの間にかそれを「偶像」にしていくことの危険性について、私は警告を発していかなければならないと思っている。「LGBT」といった括り方しかできないことを申し訳なく思うが、教会はつい前世紀までは、この人たちを迫害していたのである。いまも、あまり考えもせず当たり前のように感じていることの中に、とんでもない「サタンの王座」が隠れていることを、見張っていなければならないと考えている。
「教会」と名が付いていても、油断はできない。また、そこへ誰かが牧師や伝道者として就任したとき、これはめでたいことだ、とたいそうな祝福がなされるのが通例である点にも用心したい。よく事情を知らない人が、よかったですねと無責任に褒めそやすのであるが、とんでもない人物であったということがやがて判明する例に、私は幾例も遭遇している。分からないのである。見破った者が叫んでも、失敗した預言者であるかのように唾され、無視されるのが通例である。
吟味され、研磨された「教会」が、逞しく育まれてゆく。とんでもない者に無邪気に荒らされた教会に残された人々が、よりピュアな信仰に強められている実例もある。そこでは、派手な伝道がなされているわけでもないし、高齢化の中で、将来の発展は期待できないかもしれない。しかし、魂は主に結びついたものとなっており、その石には「新しい名が記されている」かもしれない。この「新しい名」とは何か、諸説あるようだ。キリストによって無罪とされた者の名が、命の書に書かれてあるとすればそれであるだろうし、神の名によりそれがなされたのであれば、主イエスの名が書かれているというのも本当だろうという気がする。「わたしの名をしっかり守って」いることが大切なのだ。ペルガモンの教会は、いまは何もない。だが、そのスピリットは、いまこうして私たちを励ましてくれている。いわば、私たちの命となってつながっているのだ。
最後に説教者は、「わたしに対する信仰を捨てなかった」という点に私たちの心を結びつける。この「に対する信仰」は、例によってひとつの解釈における訳である。聖書協会共同訳では、これをしばしば「の真実」と訳して驚かせた。近年の解釈の変更に基づいたのである。但し、その聖書協会共同訳でも、この黙示録の箇所は、基からの「私に対する信仰を棄てなかった」のままに留めている。そこへ、説教者は挑戦的な提言をする。「イエス・キリストの真実を捨てなかった」と受け止めてみたい、というのである。
それは、ダイナミックなイメージを呼び起こす。キリストが私たちを愛して誠意を尽くす、あるいは私たちを信頼している、その真摯な姿勢は現にある。だが、私たちにできることは、それを恵みとして受け取ることだけである。恵みとして受け容れることこそ、それを捨てなかったと言ってよいことなのではないか、というふうに捉えたのである。あるいはまた、もっと深く瞑想することのできる余地があるだろうし、そもそも説教者は、もっと高く深いところから見ていて、「そんなことではないよ」と仰るかもしれない。そういうわけで、私は、これからももっと深く息をしながら思いを巡らせてみたい。また、「信仰」の「信」も「真実」の「真」も、どちらも日本語では「まこと」と読めることにより、私は聖書のそこの訳を、すべて「まこと」にしたらどうかしら、と考えている。どちらでもその人のその時の受け止め方で、捉えてください、と。