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本の遅配に思う

近所に書店がない。少し離れたところに大きな書店がある。だが、願う本を置いているとはなかなか言えない。私の欲しがる本は、そこらに並ぶような本ではないからだ。そこで、Amazonで注文することが多い。それがまた、書店を減らす原因にもなっていることを心苦しく思うが、実際、入手には基本的にそれしかない。
 
業界では、配達員の問題もいろいろ起こっているが、とにかくここまで届けてもらうのはありがたいことである。しかも、数日内に届くし、新刊であれば翌日も珍しくない。日付が変わった夜中に注文して、その日のうちに届くこともある。
 
だが、2024年元日の能登における地震以来、時々遅配が起こっている。あるいは、雪のような天候のせいかもしれない。Amazon側の単なる見込み違いなどの問題が、偶々重なったのかもしれないが、頻度が多くなっている。
 
べつにそれで文句を言うつもりはさらさらない。ありがたく受け取ることにしている。遅れている、という連絡もその都度くるから、焦ることもない。やはり、ありがたいという気持ちばかりである。
 
ウェブサイトの、ショッピングカートの欄の下には、「あとで買う」欄がある。すぐにでもカートに入れて注文できるように待機しておく本である。ここにいま、150冊ほどが収められている。もちろん、全部買うつもりはない。候補という意味もあるが、中古の場合、価格の変動を見たいわけだ。値が下がることが多いのだ。
 
中古本も、最近は値が上がった。仕方がないと思う。送料がかかるから、それも換算して、購入するかどうかを考える。比較的近いところの大きな書店にも、中古本コーナーがあるし、中古専門の店も、車でなら行ける場所にいくつかある。以前は検索機が置かれ、中古でも在庫があるかどうか調べられたが、最近それがなくなった。棚を探すのは、けっこうしんどい。
 
昔、京都には、古本屋が並ぶ道があった。もちろん東京の神田などには比すべくもないが、それでも近所に何軒があると、歩いて探す楽しみはあった。だが、狙った本を入手するのはまず無理だった。たいていは、掘り出し物を見つけるという程度であった。あの独特の古書のにおい漂う店内には、所狭しと本が積まれてさえいた。ファミレスのように垢抜けたブックなんとかしか知らない人には、想像できないかもしれないが。
 
それが今は、検索ひとつで、日本全国から情報が集まる。そして、価格と状態の紹介を検討して、ポチッとすれば、数日以内に送られてくる。状態にこだわらなければ、最安値で揃えるということも可能だ。
 
それがいま、少々遅配が続いている。被災地の方々には、本の配達どころの問題ではないのだ。日々生きることに関心を向けるしかなかったり、将来への不安しかなかったりするかもしれない。体の不調に悩む方、精神的に苦しむ方々については、想像することもできないほどだ。
 
本の遅配は、地震のためばかりではないのだろうが、ありがたいこと、不都合なこと、そんな何かに気づかされるたびに、痛みの中にいる方々のことを、少しでも想像するようでありたい。そうしたら、また何ができるか、気づかされるかもしれない。

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