歓迎しない者 (ルカ9:51-56)
◆歓迎する
地球が春のゾーンに入って二週間余り経ちますが、まだ寒い冬の様相を示しています。それでも、春の香りがどこからか漂う気配を感じませんか。心が、春を待ちわびて、春を期待しているから、そのように感じるのかもしれません。古の歌人は、立春からは春と呼ぶ暦の中で、雪をも見ています。
君がため 春の野に出でて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ (光孝天皇)
この人たちは、春を梅で迎え、桜の時季に、春を謳歌していたのでしょうか。私たちも、春がやがて来るのだと希望を懐くことがあります。そうやって、古来、寒い冬の終わりを耐え忍んでいたのではないかと思います。
私たちはいま、春に一斉に「年度」が替わり、環境が一変します。これは古代ローマでもそうだったらしいのですが、いまはそこに立ち入らないことにします。新しい学校に進学する子どもたちもいれば、就職する人、あるいは新しい職場へ移る人もいるでしょう。大学生はいまも「歓迎コンパ」などするのでしょうか。この2年というもの、そうした場が奪われ、もはやただ「歓迎会」と口にするだけで、懐かしい響きをもつような気がします。あるいは、歓迎会などなくてよかった、という気持ちでいる人もいるでしょうか。
教会が歓迎するということは、どういうことを言うのでしょうか。初めてその教会の礼拝に参加した人のことは、きっと歓迎しますね。その人を、礼拝の終わりの「報告」の時に、立たせて歓迎の拍手を贈るというのは、かつてはよくある光景でした。でも、これはとんでもなく迷惑で失礼なことだと気づくまでに、ずいぶん時間がかかりました。
教会が歓迎する信徒となると、しばしば何か「賜物」をもった人でしょうか。映画「野のユリ」は、2022年初めに亡くなった名優シドニー・ポワチエの名演で有名です。故障した車のために助けを求めた黒人青年を、修道女たちが、神が遣わしてくださった、と教会を建てるのを手伝わせる物語でした。すでに信仰をもっていて、優れた能力をもっている人が教会を変わって来てくれるというと、私たちも似たような感情を懐くのではないでしょうか。
◆歓迎しない
では、教会が歓迎しない人というのは、あるでしょうか。酒臭い人はどうでしょう。タバコぷんぷんとか、いかにも不潔な出で立ちの人などは、大丈夫ですか。世間的に非常に評判の悪い人を歓迎できるでしょうか。どう見ても柄の悪い人はどうでしょう。そもそもそんな人は来ない? それは分かりません。元ヤクザの人が集まってきた教会もありました。救いの手は、どこにも、どんな人にも必要です。
身の危険を感じる場合は、お断りというのもあるでしょうか。しかし、障害者や、問題行動をとる子どもは、そうした危険性とは関係がないように思われます。歓迎しますか。聴覚障害者が突然訪ねてきても、何の対応もできず放置するということは、現にあったことで、知識の欠如に基づくのかもしれませんが、あまりにもお粗末です。子どもが騒げばうるさいということで、「母子室」(この名前もどうかと思いますが)は互いに安心できる設備となるのでしょうか。会堂で普通に子どもが騒いでいるのを認めている教会も、私は知っています。他方、礼拝の場は静かにしなければならないという筋を通す考えの教会もありますが、こちらが普通でしょうか。
いろいろ振り返って戴ければと願います。
LGBTQを打ち明けた人はどうですか。あるいは、いかにも見た目にそれと見えた人は、歓迎しますか。その人が教会員となり、あるいは献身の召命を得たとしたら、どうですか。私はそれがどうであるといま述べることはしませんが、教会は、胸に手を当ててよく考えてみるべきだと考えています。
新しい牧師を迎えるというのは、こぞって歓迎することでしょう。しかし、どんな人であるのかは、しばらくつきあってみないと分からないのではないでしょうか。お見合いを一度しただけで結婚した時代を再現するような気がします。会社でも、新人はまず試用期間というのがある場合が多々あります。牧師こそ、試用期間を必要とするのではないかと私は思います。実際にやってみて、教会と「合う」かどうか、試してみることなしに迎え入れるというのは、いくら牧師のなり手が少ないとはいっても、危険な賭けではないかと心配します。一度そうした地位に据えてしまうと、そのうち拙いと思うようになっても、辞めさせにくいのではないでしょうか。私はそうした例を幾度も見ています。あらゆる面にわたって不幸なことです。
もちろん、人間ですから欠点があってはならない、などとは申しません。しかし、信仰のない牧師というのが就いてしまうと、実務や技能がいくら優れていても、教会の牧師としては決定的に資格を欠くと言わざるをえません。礼拝で何を語るのでしょう。聞きかじった知識から聖書講演会をする場ではないのです。
そんな人がいるはずがないとお思いですか。私は、直にそうした人にも数人出会っています。神と出会った経験もなく、ただ神学校に行ったというだけで、牧師になれる現状の制度は、実に困ったものです。牧師はただの職業になっています。具合の悪いことに、ご本人が、自分は信仰がある、と思い込んでいる場合が多いので、どうしようもないのが実情です。それを多くの信徒は見抜くことができません。牧師ではありませんが、役員のそれを見抜けなかったことに私は大きな後悔の思いをもっています。そうした信徒を悪く言うつもりはありませんが、そのようなリーダーが立つことで、教会は明らかに壊れていきます。このようなことを何度も目撃しているので、安易に牧師を迎えることには、慎重でなければならないと私は考えます。
中には、信仰という点で厳しい神学校もあります。しかし、そういうところでも、せっかく求めてきた学生を、なかなか簡単に切り捨てることができないのが実際です。仮入学に留年というところまで措置を恩情的にとりましたが、卒業するととんでもない行動に出た、というケースもありました。他方、信仰など関係なく、聖書のお勉強のために門戸を開いている神学校もあります。神と出会った経験がなくとも、こうしたところに通えば牧師になることができるというのは、本当に罪なことです。逆に、たとえ命の言葉を語ることができる人であっても、高い学費を払い数年をかけて神学校に行かなければ、その人に牧師になってほしいとは誰も思いつきません。教会に必要なものが何であるのか、あまりに組織的になってしまうと、すっかり忘れてしまうような実情があります。
これでは、教会というものが、教会でなくなっていくことは目に見えています。閉塞的になっていくとか、少子高齢化が問題だとか、そういうレベル以前に、キリスト教会というものが、自ら破綻していくように思えてなりません。
◆イエスの視線の先
さあ、遅くなりましたが、イエスが歓迎されなかった、という本日の聖書を受け取りたいと思います。
もったいぶるようですが、その前に、この場面に至る過程を振り返ってみましょう。そこにはルカの編集の意図がありありと見えてきますが、ルカを通してイエスの足取りを辿ることで、福音書が伝えようとしたものは何かを受け取ることを、今日の目的とするつもりです。
今日開いたのは、ルカによる福音書の9章であり、その終わり近くの部分です。聖書の区切りというのは近世になってから便宜上付けられたものですが、この近辺に置かれた記事には、常々注意すべきだと言われています。確かに、ルカなる編集者の判断であり、その意図から並べられたのではありますが、それならそれで、福音書が何を大切にしていたか、私たちはそこから知ることができる利点があります。
この9章は、まず十二弟子を各地に派遣します。その活動を知ったヘロデ王は、イエスに興味をもちます。イエスは、その弟子たちの報告を聞いてから、再び人々に神の国を教え、癒しの業をもたらします。その時五千人いた群衆を弟子たちが持て余していましたが、イエスは五つのパンと二匹の魚だけで彼らを養います。これを見たからか、ペトロはイエスの質問に応じて、イエスのことをメシア、つまりキリストだと告白しました。イエスは、それを誰にも言わないようにと封印して、十字架と復活の予告を初めてします。そこで、自分の十字架を背負って従えと告げます。
イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブだけを連れて山に登ります。そこでイエスが白く輝くという変貌の姿を見せます。ペトロは的外れなことを言いますが、雲の中から、イエスがわたしの子だと語るのを聞きます。イエスはこのことを誰にも話すなと念を押しました。
山を下りると、また群衆が取り囲みます。癒しを施すと、イエスは弟子たちに、再び自分の死について予告をします。弟子たちは、言葉の意味が分かりません。怖いために、その言葉の意味を尋ねることもできませんでした。
続いて、弟子たちの間で誰が一番偉いかという議論が起こります。子どもを受け容れることがイエスを受け容れることであり、小さい者こそ偉いのだと説明します。
このとき、ヨハネが、イエスの名を勝手に使って悪霊を追い出している者がいるとチクりますが、イエスはやめさせないようにと応えました。
ここで、イエスは「エルサレムに向かう決意を固め」たのでした。ルカのイエスの眼差しは、ガリラヤからエルサレムに向いているとよく言われます。エルサレムで救いの業を成就するためです。そこで十字架に架かり、復活を遂げるとそこからは、イエスという姿ではなく、聖霊という形で弟子たちに力を与えることになります。弟子たちはおもに西へと福音を伝える働きをなし、福音派世界へ拡がっていきます。
ガリラヤからエルサレム、そして世界へという一方向性がそこにあり、世界に神の言葉が伝わっていく、壮大な構図を伴って、ルカの筆は進むことになります。
◆サマリア
ガリラヤからエルサレムに進む道が始まりました。そのとき、問題がありました。歩きやすい道を選ぶとなると、サマリアの町を通らなければならないからです。サマリア、それはユダヤ人が最も毛嫌いしていた地でした。
多くの方はご存じでしょうから、話は簡単に済ませますが、サマリアはエルサレムのあるユダの北、ガリラヤの南に位置する大都市です。かつて南のユダ王国と、北のイスラエル王国とに、イスラエル民族が分裂したことがありました。ダビデの息子ソロモン王の次の世代のことでした。どちらも大帝国の侵攻に遭い、滅亡しますが、南ユダ王国が、ペルシア王国の寛大な政策でなんとか立ち直ることができたのに対し、北イスラエル王国は、アッシリアに潰された時、入植者により土地を荒らされました。
入植というのは、反乱を起こした地域が再び逆らうことがないように、その地に住んでいた人を追い出して大国の都合のよい人員を住まわせることです。元の地の人がいたとしても、新たに入ってきた人と、いわば混血が進みますから、純粋なかつての反乱分子はいなくなります。
日本でもそのような政策は常識でしたが、九州に住む私としては、やはり島原・天草一揆のことが鮮烈です。宗教的な意味合いも交えながら起こった農民の反乱は、江戸幕府をずいぶんと手こずらせました。立てこもった原城がついて落城したとき、それはそれは残酷な最期がもたらされました。話では、いまもなおその地には多くの骨が埋もれたままなのだそうです。幕府は、熊本や大分、山口など周辺地域から安全な人民をそこに入植させ、元の農民やキリシタンをその地からなくします。人々も、キリシタンになるとああなるぞ、という実例があったものですから、いまは逆にキリスト教が根付きにくい地になっている、とさえ見られています。
サマリアもまた、純粋なイスラエル民族とは言えないようになっていきました。それでも、サマリアはかつてと同じとは言えないまでも、イスラエルの信仰の火を再び灯したのです。ところが、純粋なイスラエルの民族として復興した南ユダ王国からすると、それはかつてのイスラエルの信仰とは異なる、邪教のように思われました。それで、エルサレム神殿のあるユダからすると、サマリアは、軽蔑すべき地となりました。
敵は、全く異なる相手に対するよりも、似て非なる相手にこそ、憎悪の対象として激しい感情を有するものとなります。この背景があってこそ、有名な「よきサマリア人の譬」が成立していたのです。
他方ガリラヤも、エルサレムから離れていたために、半ば外国のように低く見られていたようです。そのガリラヤですら、信仰はエルサレム神殿につながり正統派であることを自負していますから、このサマリアに対しては、蔑視するばかりでした。ガリラヤからエルサレムに詣でるとき、できるならサマリアを通らずに行けたら、そうしたことでしょう。ただ、先ほども申しましたように、サマリアを通る道のほうが、楽ではあるのです。そして距離から考えて、サマリアは、そこで一泊しなければならない位置にありました。これがちょっとしたジレンマだったのです。
◆サマリアで歓迎されない
イエスは、このサマリアを通る道を選んでいます。このとき、先に様子を見るためか、使いの者を出します。いきなりユダヤ教のラビが来るのは、危険だったのでしょうか。あるいは、そもそもこうした旅の一行が村に入るということは、先行する係がいて、宿泊などの交渉をするというのが一般的だったのでしょうか。どうも、聖書の時代の生活背景が分からないと、書かれてあることの意味が分かりづらくなります。おまけにルカ自身、ユダヤ人ではなかったと言われていますから、現地の生活習慣に疎かった可能性もあります。記述されている地理的な説明も心許ないとまで見られています。でも、ここではよく分からないなりに、交渉係だと想像しておくことにしましょうか。
しかし、戻ってきたその交渉係の受けた返答は、否定的なものでした。
9:53 しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。
エルサレムは、サマリアからすれば、威張るユダの人間のシンボルです。そこを目指すユダの人間を泊めてやる謂れはない、と一蹴したようです。
いまでも中東にはその伝統があると言いますが、聖書の時代、旅人をもてなすというのは、大切な道義でした。これをしない者は、仲間扱いされなかったと思われます。旧約聖書には、旅人に食事を提供するのは当たり前で、その旅人を守るために、自分の娘をすら暴漢に差し出そうとするような話も書かれています。
その文化があってなお、サマリア人は、イエス一行を歓迎しなかったのです。確かに、わざわざあの威張り腐っているユダの教師なんぞをサマリアがもてなさねばならないのか、そんな義務はないし、意思もないでしょう。サマリア人の譬が、いかに衝撃的なエピソードであったのか、益々これで分かるような気がします。あんなことは、到底ありえなかったに違いないからです。
しかし、他の可能性をも考慮に入れることにしましょう。エルサレム詣でのためにガリラヤ地方から来る人々が、どうしてもサマリアで一泊するとします。サマリア人は、これで経済的に潤うはずです。つまり、もしビジネスライクに考えれば、お客さんウェルカムのはずなのです。となると、このイエスと弟子たちは、金がなかったという事情だったのかもしれません。あるいは、しきりに値切ったところ、嫌がられた、などという空想は、不謹慎でしょうか。聖書をもっと生活目線で読むことも、私は必要だと思うのですが。
ただ、偏見を増すことになってはいけないので申し添えておきますが、現代では、このサマリアの人々やその特殊とされる信仰も、ユダヤ教側と話し合いが進んでおり、いまは和睦の中にあるという話も伝わってきています。私たちがこの聖書の話から、無用な差別を増すようなことをしてはいけないと厳に思います。
◆ヨハネとヤコブの危険性
サマリアがイエス一行を拒んだと聞いた弟子たちの反応が書かれています。
9:54 弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。
天から火を降らせて云々というのは、どうしても預言者エリヤを思い出してしまいますが、今日はそこではなく、これを言った二人に注目することにします。わざわざ名前が出されているのです。この二人は兄弟でしたが、「ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた」(マルコ3:17)とあるのが印象的です。どうしてこんなあだ名が付けられたのか分かりませんが、時に激しく怒る様子が想像できないでしょうか。
この二人、かなり厄介者です。マルコによる福音書10章には、この二人が、抜け駆けをして、右大臣左大臣に任命してくれとイエスに頼み、弟子たちの間に不和が起こる記事が書かれていました。
するとここでも、二人が威勢よく、サマリアを焼き滅ぼしましょうかなどと言ったのは、もちろん本気でないにせよ、抜け駆けをしたと見えた可能性があります。つまり、先生に対して「よいしょ」をしているのだ、と。機嫌取りの態度はいつもこのように大袈裟に言って相手をいい気にさせるものです。それはまた、先生に怒らせてはいけない、弟子のほうで怒りを示しておくほうが先生の人格に傷がつかなくてすむ、といったように、先生の気持ちを汲んだような対応なのかもしれません。先生の方は、いやいやそこまでしなくていい、と理性的に対処することで、先生が一層寛大な人物のように見せかけることができるわけです。
それに応じたかどうか知りませんが、イエスは「振り向いて二人を戒められた」(55)だけで、彼らに何かを言ったとは記されていません。
この二人、ヤコブとヨハネは、イエスの姿が変わる場面に連れて行ってもらっています。ペトロと共に、後の初代教会の中心人物たちであったと思われます。どれも短気なところがあるように見受けられますが、それはともかく、この二人は、イエスの変貌の姿を目撃しています。その意味を理解はできないでいたのですが、自分たちだけがイエスの秘密を垣間見た、見せられたということは、誇らしい気持ちがしたことでしょう。弟子たちの中でも特別な存在だという自負を覚えていたと想像できます。
そう言えば、この直前の場面で、イエスの名で悪霊を追い出している者がいたのでやめさせましょうか、と進言したのも、ヨハネでした。これも機嫌取りであり「よいしょ」の発言です。この二人、なかなか危険な存在であるように思えてきませんか。
◆教会と私の危険性
こうして一行は別の村に向かいます。いったい何のためにこの記事が書かれたのでしょう。別の村があるのであれば、そしてそこへ行くことが選択できるのであれば、わざわざサマリアに立ち寄ることもなかったのではないでしょうか。しかし何かを試すように、確かめるように、イエスはサマリア人の村に使いを派遣し、交渉させています。
ルカは読者に、この弟子たちに注目するように促しているように感じられます。この近辺で幾人かの弟子の名前を挙げ、とくにここではヤコブとヨハネを表に出すことで、ペトロと共に、使徒言行録に続く、初期の教会の権威を立てるのに一役買っているつもりなのかもしれません。しかし、聖書が必ずしもルカの思惑だけで書かれているのではない証拠に、そうしたルカの意図とは違う角度から、大切な観点を与えられることで、私たちの信仰と教会生活を生き生きとさせてもらおうと私は願っています。
この場面と自分との関係を考えてみるとき、さて私たちは、いまどこに立っているでしようか。イエスの傍にいつもいる弟子の立場ではなさそうです。イエスが泊まれないかと相談をした、サマリア人の立場にいるのです。イエスが泊めてくれと呼びかけたのに、私たちは応えていたでしょうか。私たちは、イエスを歓迎するのでしょうか。いま世の終わりが来て、神の国がくるぞ、という知らせがきても、「ちょっと待ってください。いまはまだすることがあります。お誘いは結構です」と言いたくなりはしないでしょうか。祝宴に呼ばれて断ったあの話を、他人事だと思ってはいなかったでしょうか。
私には、イエスを拒む教会や、自称クリスチャンの心が、ありありと見えるように感じています。俺たちはせっかく教会で仲良くやっているんだ。信仰とか真実とかよけいなことを行って割り込んでくるな。福音がなんだ、イエスの言葉とはなんだ、俺たちの仲間では、聖書は古代の文献として、こうやって理解しているんだ。俺たちの平和を壊さないでくれ。もうここへは来ないでくれ。
仲良し倶楽部のようになった教会で、互いににこにこ楽しい語らいができていれば、礼拝説教は、仕方なく聞かなければならない義務のようなもの。内容には時々、「いい話ですね」と相づちを打っておけばいい。あとは、ほっとした気持ちで付き合える仲間がいれば、自分の得意なことを堂々とすることができて、おまけに褒めてもらえる。世間に比べると、かなり気が楽なところだ。――そんなふうに、教会生活を捉えているような人はいませんか。あるいは、いまそのような自画像に気づいた人はいませんか。
イエスが来て、財産を捨てろと迫ったらかなわない。家族や子を捨てろと言われたらかなわない。すべてを捨てて私に従えとイエスが現れないでほしい。ああ、イエスを歓迎することなど、どうしてできようか。私たちは、ちっともイエスを歓迎していないのではないでしょうか。自分の心に壁をつくり、神が入ってこないようにしている私たち。それに気づくことはショックです。どうであれ、クリスチャンは、自分が神を信じ、イエスを愛しているものと思いたいものです。絶望的な気持ちになってもおかしくありません。
いえ、できれば絶望するのがよいと私は考えます。いい気になって、自分がいつも神の味方であるかのように思いなしていたとしたら、よほど危険で恐ろしいことだと思います。そして、そのような自分の姿に気づかされたら、実はそれがチャンスだと思うのです。そこからのみ、次の風景、次の段階が見えてくるからです。
イエスを歓迎すること、つまり自分の心に迎えることは、絶望し、へこたれた私たちにとっては、もはや恐れることでもないし、拒むべきことでもないと思います。自分の心の王座にイエスに来て戴くというのは、むしろ「幸せ」に直結することだということに、改めて目を留めてみてほしいと願います。そのあたりの具体的なことについては、またいずれ共に考えましょう。まずはいま、その希望の欠片が感じられたとしたなら、適切な方向に歩き始めることができるのではないかと期待します。もう春です。いくら寒くても、その冷え込みは、春には勝てなくなります。春を待ちましょう。イエス・キリストが再び来られて、神の世界がほんとうに実現することを待つ思いと、それはきっとつながっているのだと私は信じています。