ギリシア思想の中へ福音を
使徒17:22-29
当時のアテネが、400年も前のソクラテスを重視していたわけではないでしょう。ローマの実践的な文化の波の中にあっても、ギリシアにはヘレニズム文化の伝統がありました。ギリシア的探究のはあったのではないかと思います。その様子が、「何か耳新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていた」と表現されています。
パウロが、そこへ来ました。新しい物珍しい思想の一つかと人々は関心を向けます。パウロもそれは分かっています。好奇心だ、と。しかし、福音を伝える使命は真剣です。パウロがギリシア哲学をどのように理解し、受け容れていたのかは、知りません。プラトン哲学を駆使したようには見えません。さらに古い自然哲学でもないような気がします。
しかし、何らかの理屈を以て論ずるのがよいと考えたに違いありません。「アテネの皆さん」と呼びかけると耳目を集めます。そういう場は用意されていました。ギリシア人を「信仰のあつい方」と持ち上げますが、パウロの考える「信仰」とはもちろん異なります。神々の像がストリートに並ぶ様を、きっと忌々しく見つめていたことでしょう。
でもパウロの「信仰」へと導き入れたい。話の入口は「知らずに拝んでいる」神でした。パウロから見れば偶像に過ぎないそれも、「知らずに拝んでいる」神とのつながりを言えば、「つかみ」になると考えます。それは自然神学です。これは現代日本へ向けても有効な道だ、と考えられた時代もありました。でも事はそう簡単には行きませんでした。
パウロの努力は、それでも尊びたいと思います。今その思想を辿ることは控えますが、確かによく練られた論旨ではあるように見えます。但し、この演説は結局失敗してしまいます。時間を持て余し、世界各地の話を耳にし、よく思想を知っていた人々が、パウロの口から出た「復活」という言葉には、一斉に嘲笑うのでした。
しかし「信仰に入った者も、何人かいた」というのが本当なら、パウロの説教には意味がなかったわけではありません。会衆皆を酔わせなくとも、誰かがそれによって神に結びついたのなら、それはそれで良いことでした。パウロはともあれ「復活」を説きました。福音が救いをもたらすのは、福音の中核をきちんと示したときだということを知るのです。
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