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もう裏だなんて思わない。堂々と、幸せのニュースをお伝えします。日曜日の礼拝ごとに、一週間の生きる力を、人生を変える力を、神の言葉がもっていると確信していますから、それを指し示す取…
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2024年3月の記事一覧

イエスの言葉を思い出す (ルカ23:50-24:12)

イエスの言葉を思い出す (ルカ23:50-24:12)

◆復活はあるのか

キリスト教について、奇蹟が信じられない、と言う人がいます。そもそも「奇蹟」とは何か、問い直す必要もありますが、しかし聖書の記事の中の不思議さは、現実のようには思えないし、癒やしでさえ、どうかという気がすることは、理解できないわけではありません。ただ、奇蹟の中でも、イエスが「復活」したというのは、どうも子どもじみているほどに、ありえない、という声も聞くことがあります。
 
子ども

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十字架への道 (結) (ルカ23:26-49)

十字架への道 (結) (ルカ23:26-49)

◆自分のために泣け

一年中いつでも、イエスの十字架についてお話ししたいとの思いがあります。表にそれを出さなくても、いつでも十字架を胸にお話ししているのは本当です。今日は、この一か月の春の時期に受け止めているルカ伝23章の十字架の記事において、正にその十字架刑の場面を取り上げます。それを、四つの場面に分けて追うことにします。
 
26:人々はイエスを引いて行く途中、シモンというキレネ人が畑から帰っ

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十字架への道 (続) (ルカ23:1-25)

十字架への道 (続) (ルカ23:1-25)

◆判決への過程

ローマ帝国の領地であったユダヤ地方には、傀儡政権としての王政があったものの、ユダヤ人の自治には制限があったといいます。福音書で問題となるのは、死刑執行の権限がなかった、という点です。さて、歴史上どうなのか、私にはよく分かりません。ルカ自身による脚色や、誤解も混じっているかもしれず、歴然と事の次第を記すことは、相応しくない、と理解しています。
 
ユダヤの法律、つまり「律法」におい

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十字架への道 (序) (ルカ22:54-71)

十字架への道 (序) (ルカ22:54-71)

◆受難への道の始まり

受難と復活へ至る道を思いながら、神の声を聞いていきたいと願っています。今回は、ルカ伝を頼りに、その旅を続けたいと思います。どうしてルカなのかという、明確な理由はありません。去年は、ヨハネ伝から辿りました。別の風に吹かれながら、イエスを見つめていきましょう。別々の福音書から拾いながら辿ると、尤もらしいイエス像ができるかもしれませんが、ひとりの福音書記者のポリシーを無視すること

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殺すことと生かすこと (出エジプト20:13, 申命記5:17)【十戒⑥】

殺すことと生かすこと (出エジプト20:13, 申命記5:17)【十戒⑥】

◆神が殺せと命じる

「十戒」を一つひとつ受け止めています。後半に入りました。
 
ふと、考えてみます。「十戒」に「例外」はあるのでしょうか。
 
まるで憲法のようなものだとすると、例外があってはならないことになります。第一の「私をおいてほかに神々があってはならない」には、例外はないでしょう。「自分のために彫像を造ってはならない」も、やはりあってはならないと思われます。事実上教会に像が建てられてい

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