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論文として取り上げても興味深いテーマ「傲慢と善良」辻村美月
はじめに
今回は「傲慢と善良」辻村美月さんの読書レビューです。
家族だって他人
家族といえど、血のつながった他人であるわけで。
私とあなたはもちろん他人だし、隣にいる恋人や友人だって他人なんですね。
皆、知ったような口ぶりで他人を諭したり分類したりするけれど、所詮は自分の経験談と社会が織りなした一般的な価値観論なのでしょう。
「一般的」というのも、大多数がその意見を持っているから一般的なのであって、少数派の意見は淘汰されていきます。
自己愛と価値観の狭さ
私は、自分が一番大切です。
唯一無二の存在ですし、嫌なことからも逃げてつい甘えて怠けてしまう。
そんな自分を赦して他人にも許容させようとするのは私の傲慢さ故です。
前から気になっていましたが、読むタイミングが今になりました。
書店の本棚から呼ばれたような気がして、手に取っていました。
きっと私にとって必要なタイミングだったのでしょう。
自分のことは棚に上げて、他人を理解したかのように語る傲慢さ、
「従順で素直な良い子」でいることが善良だと思われる世の中。
自己選択したことのない人間は自分の意見がなく、世間知らずで無知になり得ます。
家庭環境や周囲の社会環境において、「傲慢」にも「善良」にもなります。一見対極とも思える性質ですが、どちらも兼ね備えることによって、この社会で人間は生きていけるのだと、小説内で登場人物たちは悟っていきます。
誰にだって色々な一面があるのは事実ですし、個々の性質として受け入れていかなければ人間関係の構築は難しくなるでしょう。
自分の世界、それこそ「家族」を構築し、価値観の狭い世界のみで生き続けていくといずれ感覚はゆるやかに麻痺してしまいます。
それは意志が弱いからじゃない。
日本人は特に集団心理を受け入れて仲間意識を固める傾向が強いから、
「大多数の意見を受け入れる」ことが善だと思い込んでしまうのです。
特に、年齢が高い、親世代の者たちは顕著にこの傾向が伺えます。
私にとって善でも他人にとって悪かもしれない
だからなんだと言うのか。
他人は他人。
私は私。
あなたはあなた。
他人との境界線をどこまで引くかは周囲ではなく、あなたが決めることです。
でも、自分自身で決めることを息苦しく思う人も中には存在することでしょう。
そうして狭い世界観の中でも正しいと思い込むことだって、生きるために必要な手段なのです。
ひとりでも、誰かと結託してもいい。
そこで自己愛を徹底した世界の中で生きるのもまた、傲慢だと言われるけれど、当人にとっては善の行いとなるのです。
このあたりの心境は、共依存との関係性も見えてくると思われます。
おわりに
小説という物語の域を超えて、論文を作成できそうな興味深いテーマでした。
上述のように、現代社会の恋愛観だけでなく、狭い価値観の中で生きる人々をテーマにされていると思います。
毎度のことながら辻村美月さんはキャラクターに感情移入してしまうくらい、登場人物の設定がリアリティに溢れています。
テーマに沿って登場人物が物語を動かし、どのように選択していくのか、こちらも緊張しながらどんどん読み進めてしまいました。
気になった方は是非、文庫本もあるのでお見逃しなく。
自分の価値観が揺さぶられます。
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おしまい