「『粋』とは、どんな状態になってもそれを面白がってしまうこと」
憧れの心の持ち方です。私も粋な考えを習慣づけたい。
「粋な計らい」「粋な着こなし」という使われ方をよく耳にする。なんとなく「おしゃれ」という意味なんだろうなと捉えていたけど、改めて辞書で調べてみた。
ふむふむ。解釈は間違ってないな。
ただ、人づきあいの幅が広がった時にこの名言に出会って、「粋」の定義がより一層しっくりきた。
私の親は、子どものために立派なレールを敷き、子どもたちがそこから外れそうになると何とかして元に戻そうとした。子を思う立派な親だと思うけど、自分の考えだけが正解という考え方は窮屈だった。子ども側の思いや感じ方は、親の考えに従わされた。
何かに失敗したら、再チャレンジして成功に変えることが求められた。失敗で終わらせず、諦めずに成功させるという姿勢はとても美しい。でも、自分でそうしたいと思うならいいけど、親からの強制で再チャレンジするのは意味が変わってくる。
親は子どもよりも人生経験があるし、広い視野で物事を見ているし、愛情ゆえのことだから、何も間違ってはいない。
でも、私は「失敗を成功に塗り替えられなかったらダメ」という考えに支配されて、「壁にぶつかったら、全部乗り越えようとせずに横道にそれてもいい」という考え方が育まれなかったので、苦しむことが多かった。
大学や就職で人づきあいの幅が広がってくると、いろんな人の考えを知ることができた。親や学校の先生以外の大人の考えに触れることができた。
何でも真正面からしか物事を見てこなかったけど、悩み事を相談すると、「こんな考え方はできないかな?」と、自分では思いつかなかった視点に気付かせてくれる人がいて、目から鱗だった。
「もうだめだ…。終わった…。」と落ち込んでいると、意外とあっさり解決する方法があったり、そもそも悩むほどのことでもなかったりして、「こんなことで悩んでたの?おもしろい」と笑ってもらうのは新鮮だった。
悩むことが趣味なのかというくらい常に何かに悩んでいた私の話を聞いて、豪快に笑って面白がってくれる人がいて、だいぶ救われた。いつもうじうじ悩んでつまらない人間だと思ってた私のことを「面白い」と言ってくれる人がいるなんて思いもよらなかったから。
物事をある角度から見てうまくいかない時に、そこで足踏みして動けなくなるのではなく、別の視点から見て解決の糸口を見つけていく人たちは、当然仕事でもその手腕を発揮している。
何人か出会った、私が思う「仕事ができる人」は、みんなその特性を持っている。
トラブルが起きても、最初は「うわ、嘘だろ」と驚くけど、冷静になって、最終的にはどうにかする。斬新な解決策を思いつく時もあれば、開き直って謝り倒す時もある。とにかく、どうにかする。
どうにかする結果もすごいなと思うけど、困難な状況を、あたかも他人事かのように捉えて、面白がって笑うのは、私にはまだまだ真似できない。
「見てよ、これ。俺、訴えるとか言われてるよ」と笑いながらクレームメールを見せてくる人が、最初は信じられなかった。「この人、自分の置かれた状況分かってるのかな?」と心配になってた。
でも、最初はトラブルだったことが、終わった後は笑い話に変わってるんだから、本当にすごい。こういう人が上司だと、部下としても心強い。
こういう人たちに出会っていく中で、この名言と出会い、「粋」のイメージがさらにかっこいいものになっていった。
私も以前よりは「粋」な考え方ができるようになっていると思う。自分自身に降りかかったトラブルは、まだ焦ってしまうことが多いけど、後輩に起きたトラブルは、(本人ではなく状況を)面白がった見方をして、後輩を落ち着かせることができることがある。
人間、急には変われないけど、意識を持っていたら、自分でも気づかないうちに自分のスキルになっていくことがある。憧れの考え方が、習慣となって、自然にそういう考え方ができるようになれば嬉しいな。
ただ、最近気になるのが、「こういう考え方もできるんじゃない?」という人の中に、そういうものの言い方が賢く見られると知っていて、何も考えずに無責任に言っているだけの人もいるということ。それが上司だと、最後ははしごを外すタイプが多いし、結局部下が苦労することになる。気を付けないと。