見出し画像

「『なりたい自分』と『なれる自分』が一致しないと人生に対してやる気が削がれる」

私の経験上は、得てして、憧れる相手は自分にないものを持っているから憧れるんですよ。
これって、特にキャリアが定まっていない段階、ほとんどの人がみんなそういう状態なので、こういうことに悩まれていると思うんですよ。
自分が「こういう人になっていたらいいなぁ」と憧れる人を想像するじゃないですか。ここに大きな矛盾が出てくるんですけど、「なりたい自分」と「なれる自分」が一致しないという問題なんですよ。
これで多くの人は人生に対してやる気が削がれてしまうんですよ。

多くの人を見ていると、自分の特徴を自分で認められないんですよ。「ああいう人になりたいな」って憧れるんだけど、その人の特徴と自分の特徴が一致していたら幸せなんですけど、自分が別の特徴を持っていると、自分はナスビなのにニンジンに憧れる。私もそうだったから分かるんです。でもやっぱり無理なんですよね。
違う人にはなれない

自分にないもので勝負しててもうまくいかない。
自分の得意なところで勝負するしかない。


   森岡毅(マーケター)

「林修の初耳学」


私も今はまだキャリアが定まっていない段階なので、「なりたい自分」と「なれる自分」のギャップを感じる。

最近は「なりたい自分」も突き詰めて考えることは減ったから、理想と現実のギャップに苦しむことは多くはない。

見方を変えると、苦しむことから逃げたくて、理想や憧れを作ることすら避けているのかもしれない。

いずれにせよ、「憧れ」や「なりたい自分」を目指し続けることは必ずしも正しいことではなさそうだ。


久々に「憧れの人」に思いを馳せ、「なりたい自分」を呼び起こしてみると、やはり大きなギャップを感じる。

私はその人にはなれない。

職場では他にもその人に憧れる人は多く、本人もそれを知っていて、「俺になろうとするな」と言っていた。

誰かに憧れて、その人みたいになりたいと思って一生懸命真似をしても、やっぱりその人にはなれないから。


そして、本来の自分の良さが薄まってしまうからというのもあるはず。

私が憧れた人は、私の話し方で気に入ったところがあったらしく、それを真似していると言っていた。

私は意識せず話していたから、自分がそんな話し方をしているとは気付いてもいなかったし、それがいいなんて思いもしなかった。


誰かに憧れたり、理想像を持つのは、モチベーションアップにもつながるし、努力するエネルギー源になるから、悪いことではない。

でも、「なりたい自分」は必ずしも「なれる自分」ではないことは知っておいて損はない。


私の「なれる自分」って何だろうな。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?