「誰よりも練習を積んできた自信があるから、大きく見せる必要もない」
「誰よりも練習を積んできた」と言えるほどの自信を持ちたい。
自分を大きく見せようと無理するちっぽけな自分を成長させたい。
もともとの性格も足を引っ張り、物事の勘所を押さえるセンスがあまり良くないから、私は自分の才能に自信が持てない。
才能がなければ努力でカバーするしかなくて、自分なりに努力するけど、その努力でさえ、「努力する方向性が間違ってるんじゃないか」「こんなところに時間をかけてるなんてダサいんじゃないか」と、その努力にさえ自信が持てず、途中で立ち止まってしまう。
能力も考え方も行動も「私は正しい」と思えていない。まさに自信がない。
何にも自信が持てないとなると、「自分なんて何もできない」「どうせ私なんて」と卑屈になるか、「できないと思われたくない」と虚勢を張ることになる。
私はプライドの高さが影響して、後者の方法を取ってしまうようだ。
自分を大きく見せないと立っていられないんだけど、それには弊害もある。
まず、可愛げがなくなる。本当は自信がなくて余裕がないのに、「地道な努力なんかしなくても私は大丈夫です」と自分を偽って見せているので、生意気で、偉そうで、とっつきにくい印象を与えてしまう。度を超すと、自分の思いとは裏腹に、自信過剰な人に見られる。
それに、かっこつけてクールぶっているうちに、自分まで自分に騙されて、本当に努力しなくなる。
これではいつまで経っても成長しない。
職場の人と話していると、自信があるところとないところを自覚できているなと思えることが多い。
「この資料、作ってみたんですけど、ここの内容だけ自信ないから見てくれませんか?」「この前作ったチラシ、色使いが自信ないんですが、どう思いますか?」「ここは自信あったのにミスった。ショックだ。」と言った会話をしている。
私も、「この資料はうまく作れた」「これなら合格点もらえるだろう」と思うことはあるけど、「ここ以外は問題ないと思うんですけど」とか「私がチェックしたのでこの資料はもうミスはないですよ」とまでは思えない。
私が自信を持てないのは、少し完璧主義なところが邪魔していると思う。
一連の仕事のうち、1つでも苦手な作業があると、すべてが「できていない」と思ってしまう。
仕事なんて誰もすべて完璧にできるわけないのに。すべての仕事を経験したわけでもないからできるはずもないのに。1つ苦手なところを見つけて「私は仕事ができない」と思ってしまう。
でも、他の人のように、「ここは得意だけど、ここは苦手」というように切り分けて捉えた方がいいんだろうな。
その方が、長所を伸ばせるし、短所を克服しやすくなる。
つまり、具体的な努力もしやすくなる。
そうか、0か100かで考えるから、努力に対しても自信が持てないのか。
努力しようにも、どこが強みでどこが弱みか自分で分かってないから、具体的にどこをどうしたいか分からない。
今まで、「ここは自信があります」と心の中で思うことすら、自信過剰なんじゃないかと遠慮してた。
でも、得意なところと苦手なところを誰かに発表するわけでもなく、自分の中にとどめておくだけなんだから、遠慮することなんてない。
ちゃんと自己分析して、自分のことを知ろう。
そしてちゃんと努力できる人間になろう。
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