「不幸のときは一を十に思い、幸福のときは十を一のように思う」
人は、不幸のときは一を十にも思い、
幸福のときは当たり前のようにそれに馴れて、
十を一のように思います。
─ 瀬戸内 寂聴 ─(『生きることば あなたへ』)
「20世紀の名言」からの引用です。
ポジティブ思考の人とネガティブ思考の人がいると言われるけど、私は完全にネガティブ思考なので、ポジティブ思考の人を羨ましく思う。
ただ、どちらのタイプにしても、程度の差こそあれど、幸せな時とそうでない時で、ものの感じ方が違うのは共通するのかなと思う。
幸せな時は、「嬉しい」「楽しい」「ワクワクする」「みんないい人だ!」「幸せだー」「今日はいい日だ」「私ってついてる」と、シンプルで、それだけで完結する感情が多い。
でも、幸せではない時は、自分の状況を受け入れることに抵抗があって、「苦しい」「悲しい」「つらい」「悔しい」「逃げたい」「なんでこんなことになってるんだろう」「どうしたら状況が上向きになるかな」「なんで自分だけ不幸なんだろう」「なんで誰も助けてくれないんだろう」「あいつのせいだ」「みんな嫌なやつだ」「自分は価値のない人間だ」「誰も自分のことを認めてくれない」「みんな自分のことが嫌いなんだ」というように、いろんな思いが複雑に絡まって、負のスパイラルに陥ってしまう。(ネガティブな感情の方がたくさん列挙できたのは、私がネガティブだからか、他の人もそうなのかは分からない。)
例えば外線電話に出るという1つの仕事に対して、幸せな時はすぐに電話に出られる。でも、幸せじゃない時は「クレーム電話かもしれない」「ややこしい話になるかもしれない」と気が重たくなって、他の人が先に取ってくれるのを期待する。幸福じゃない時は、疑心暗鬼になって何事に対しても警戒心が芽生えて、ストレスが大きくなってしまう。
「クレーム電話かもしれない」という不安がよぎっても、「まぁ、いいか。クレームじゃないかもしれないし、クレームだとしても死ぬわけじゃない。」と割り切れるのか、「あー、もう無理。電話取りたくない。会社行きたくない。どうせ私は何をやってもうまくいかない。」と病んでしまうのか、そこにポジティブとネガティブの差が出てくるのだろう。
この名言で思い浮かんだ別のシーンが、愚痴や相談のシーン。
生きていると、大なり小なり嫌なことが起こったり壁にぶつかったりするわけで、それを自分の中だけにとどめておかずに、愚痴や相談という形で他の人に聞いてもらうことがある。
それがこの名言にどうつながっているかというと、愚痴や相談の後。話を聞いた人からすると、その人のことが心配になる。毎日心配しているわけではないけど、ふと「そういえば、あの後、どうなったのかな。問題は解決したのかな。」と気になることがある。
しばらくしてその人と話す機会ができて、「あれから大丈夫?」と訊くと、「あー、あれね。うまくいったよー」とか、「ん?なんのことだっけ?」「あ、話してたっけ」とあっけらかんと返されることがたまにある。
本人が元気になったのならいいんだけど、涙目になりながら必死につらさを訴えてきてたから、こちらは心配することしかできなくて申し訳なく思ってたのに、「問題解決したなら教えてよー」と思ってしまう。
もちろん(と断言してしまうのはよろしくないけど、)私も同じことをしてしまうこと、あります。
不幸せだなと感じる時は、過度に自分をかわいそうな人間に仕立てないように。幸せだと感じる時は、謙虚に、周りに感謝の気持ちを持つことを忘れないようにしたいものです。