「喜ぶというのも一つの習慣」
なるほど。意外と盲点だなと思った。
喜びは自然に出てくる感情で、自分で増やしたり抑えたりすることはできなものだとばかり思っていた。
でも、喜ぶという感情も習慣であって、慣れることで自分のものにすることができるという考え方があるんだ。
周りの人を考えてみると、よく喜んだり褒めたり感謝したりする人がいる。
お菓子をおすそ分けしたら「わぁ、嬉しい、ありがとう」、頼まれてた仕事をしたら「おぉ、早いね、もうやってくれたんだ。助かったよ。」、落としたものを拾ったら「おっ、ありがとう。気づかなかった。」と、相手まで嬉しくなる言葉をさりげなくかけてくれる。
そういう人って、毎回「褒めよう」とか「ありがとうって言わなきゃ」と考えながら声をかけているわけではなさそう。反射的に、自然にやってる。
人気者やいい上司と言われる人ほど、こういうタイプが多いように思う。
逆に、人気のない人や評判の悪い上司は、そういう時に何も言わない人が多いかもしれない。何かを頼むときとか、指示するとき、叱る時、謝る時にしか言葉を発しない人は、相手もやっぱり接しづらい。
さて、私は?
どちらかというと後者に近いんだろうな。
良くない。非常に良くない。
オーバーリアクションで反応する人があまり得意じゃなくて、自分はそうならないように意識していたら、学生時代は「クールだね」と言われて嬉しかった。でも、若かったし、周りのノリにも流されて、それなりに反応はしてたんだと思う。
それに、他の人と同じ言葉でリアクションするのではなく、ちょっと変わった視点からツッコミを入れると、妙にウケてくれる人が出てきて、快感を得るようになってしまった。
でも今は反応が薄い人になってしまっていると思う。自分が一番若手だったらそこまで問題じゃないけど、後輩に対しては褒めるのが大事。部下ができたら、もっと大事になってくる。
オーバーリアクションするタイプにならないように意識していたら、反応の薄い人になった。
逆に考えると、今よりリアクションを増やすことを意識したら、反応が増えるはず。
同じく、人と違う反応を心がけたらできるようになったんだから、喜ぶとか感謝するといったポジティブな反応を心がけたら、ネガティブな反応よりポジティブな反応を増やすことができるんじゃないかな。
何か教えてもらえたら嬉しい。
お願いしたことをやってもらったら嬉しい。
相談したことを一緒に悩んでくれたら嬉しい。
自分を頼って相談してもらったら嬉しい。
自分と話して笑ってくれたら嬉しい。
ただの雑談をしてくれたら嬉しい。
どこかで「仕事だから当たり前」と思ってることが当たり前ではないことに気づいて、ありがたさを感じようとしてみるのが必要なんだろうな。
そして、「ありがたい」「嬉しい」「すごい」と思ったことは、意識的に言語化してみるのが必要なのかもしれない。
自分が思うだけじゃなくて、その相手に伝えようと意識するのも必要なのかもしれない。
前に、後輩が作った資料を「これ、めちゃくちゃいい感じに仕上がったね!」と褒めた時、「館山さんに褒めてもらえるなんて、すごく嬉しいです」と言われたことがある。
私はその後輩のことを「すごい」と思ったことは何度もあるのに、それを伝えきれていなかったということ。私はなかなか褒めないキャラになってた。そのことに気付いてさえいなかった。
まずは意識して喜ぶ。
そしたらだんだん意識しなくても自然に喜ぶことが増えるようになる。
さらに、喜んだら意識して言葉にしてみる。
そしたら意識しなくても言葉になって相手に伝わるようになる。
自分も喜ぶことが増えて、誰かも喜ばせることが増えるといいな。