見出し画像

「どんな人だって、その人の人生という舞台では主役である。」

どんな人だって
その人の人生という舞台では主役である。

   ─ 遠藤 周作 ─ (『生きる勇気が湧いてくる本』)

「20世紀の名言」


目標に向かって自分で自分の人生を歩んでいる人にとっては、こんなこと、改めて意識しなくても当たり前の感覚なのかもしれない。

でも、今の私はあまり主役感がない。脇役感が強まっている。
仕事でもプライベートでも、劣等感があるからだな。


高校生くらいまでは、見えてる世界も狭いし、自分のことを考えるだけで精いっぱいだった。

20歳前後で、具体的にどういう仕事に就くのか考え出す頃は、まだ「世界で自分にしかできないことをしたい」「自分の生きた証をこの世に残したい」と、密かに思ったりなんかしていた。
クサいこと考えてたなとも思うけど、若かったし、それくらいの気概があるのは悪いことじゃないと思ってもいる。

働き始めてからも、特に以前は専門職だったこともあって、自分のスキルを磨いて、求められる人間になれるように努力していた。




でも、今は、


仕事面でいうと、仕事が遅くて精度も高くないという自己評価で、自信がない。職場の人から仲間外れにされているわけではないけど、良好というわけでもないから居心地が悪い。

「他の人に迷惑をかけているかもしれない」
「私は求められていないかもしれない」
「陰口を言われているかもしれない」
「陰でみんなに笑われているかもしれない」
と、ネガティブな考えにどんどん支配されていく。

自分なりに「ここはこうした方がいい」と思っても、自分から積極的に動いて失敗したら怖いから、あまり目立たないようにしている。自分の挙げた成果が他の人のプライドを傷つけないように、素直に喜んだりアピールしないようにしている。

自分のことをよく思ってない人がいる気がして、談笑していても「この会話を聞いて気を悪くしている人がいるかもしれない」「今話している相手も、本当は楽しくないのかもしれない」と疑ってしまい、やはりあまり目立たないようにおとなしくしている。

他の人より早く昇進したいわけでもないし、目立つ仕事をしたいわけでもない。ただ毎日それなりに楽しく仕事がしたいだけ。

でも、遠慮して縮こまっているから、「ここが自分の居場所だ」とも思えないし、「ここで頑張れば、いつか輝ける」とも思えない。


プライベートでは、いい年して結婚できていないのが肩身の狭い思いをしている大きな要因。

前は、仕事に打ち込みながら、彼氏に会ったり友達に会ったり買い物したりしていると、自分のことを不幸せとは感じなかった。彼氏がいない時でも、自分がかわいそうとは思わなかった。

でも、今は仕事もそんなに楽しく打ち込めているわけでもないし、友達とも簡単に会えない状況だし、恋愛もその先に結婚が見えないと「時間を無駄にするかも」と思ったりして、全部が中途半端。

現実を否定する大きな要因は、親の存在。自分も歳をとるということは、親もどんどん歳をとっているということ。周りの友達が孫の話で盛り上がっているのに、自分の親はまだ孫がいない。申し訳ないなと思う。

職場や周りの人たちからも「結婚して子供がいるのが普通」「結婚するのが幸せ」というオーラを感じてしまうし、結婚や子育ての話になると、気を遣わせてしまってる感じもあって、肩身が狭い。「ちゃんとした人生を歩んでない」という劣等感が大きくなっていくのは否定できない。




だけど、こんな生き方でもこれが私の人生。

仕事も自分で選んできたし、結婚してない現状も結果的には自分で選んできたことの積み重ね。

「これでいいんだ」と思う自分も、「このままじゃいけない」と思う自分も、私は私。私の人生は私のもの。当然、主役は私。

何なら脚本も私が書ける。この先のシナリオは、いくらでも自由に変えられる。シナリオ通りにいくかも私次第。

親や周りの観客からの見え方も無視はできないけど、一度きりの舞台。
私らしいストーリーを描いて、自分の舞台を楽しみたい。





いいなと思ったら応援しよう!