「日本の学問は、ものを習う”習得型”で、挑戦する”探求心”が不足している。」
日本の学問は、ものを習う“習得型”で、
何か新しいことに挑戦する“探求型”が不足している。
というより、“探求心”の教育を
受けていないと言っていいと思います。
─ 江崎 玲於奈 ─ (ノーベル物理学者)
「20世紀の名言」からの引用です。
教育方法というのは、正解を探すのが難しい分野だと思う。
義務教育だと、教育を始めてから結果が出るまでに何年もかかる。成果が出るまでの間に社会情勢が変わっていって、求められる成果が変わってしまうので、軌道修正しないといけなくなる。
例えば、「日本の教育は詰込み型だ」と批判されて、創造性とか個性の尊重とかが求められているということになり、軌道修正したら、それ以降の人たちは「ゆとり世代」だと揶揄されるようになってしまった。
教育は学校だけではなく、家庭での教育も大事だという声もある。仮に学校のカリキュラムが正しかったとしても、家庭で何もしなければ成果は出にくくなる。学校の課外活動だけでは限界もあるから、家族でのお出かけが子どもの経験値を高めていく。
時代に合った教育を、その時代にやっていたらいいけど、世の中のニーズとズレていると批判される。ノーベル賞の研究分野みたいに難解だと何もつっこめないけど、義務教育は教育学者じゃなくても誰でも好き勝手言えるから、いろんな意見が出てきて答えも出しづらくなる。
今は、ICTとかAIとかRPAとかDXといった、意味を理解する前に次々と新しく出てくるアルファベットの波にのまれるように、働き方や常識を変えないといけない時代になっている。
コロナ禍になって、それがさらに加速している。「みんなが同じ時間に出社して、決まった時間に働く」という常識を取り払わないといけない状況に陥った。時差出勤やリモートワークが推奨されて、人によっては半強制的にそうせざるを得なくなった。みんなが出社しなくなったから、全員のデスクを置ける広いオフィスもいらなくなって、規模縮小したというニュースもよく聞いた。本社は東京や大阪に置くという常識も変わってきていると聞く。
感染拡大防止のための時短要請も長期にわたってしまい、それまでの営業方法を変えざるを得ない飲食店は相当な苦労をされてきたはずだ。残念ながらお店をたたんでしまう人もいたし、新しくデリバリーを始めたり、ランチ営業を始めたりと、新しいことに挑戦したお店もたくさんあったようだ。
コロナの影響で、需要が減ってしまった店がある一方で、需要が一気に増えた業界もあっただろう。自然と増えた「コロナ特需」に救われた業界もある一方で、自らニーズをいち早く察知して新たな商売を始めて成功した人々もいるというニュースも観たことがある。
いずれにしても、どの業界の人も、否が応でも働き方を見直して、挑戦を求められてきていると思う。
スケールが大きくなってしまったけど、今、自分の中で危機感を持っているのが、江崎 玲於奈さんの言う「探求心」以前に、知識の「習得」すらしていないということ。
今やスマホですぐに何でも調べられる。知らない単語に出会ったら調べたらいいし、毎日すべてには目を通せないほどのネットニュースが溢れている。興味のある情報を調べ始めたら、関連情報を調べていって、あっという間に時間が過ぎていく。
でも、正直、新しい情報ってほとんど残ってないんだよね。新しいことを知って感動することもそんなに多くない。掌の中で新しい情報が流れて行って、それを目にしてはいるけど、頭には入っていない。読んでない。
「教養を深めるためにも、感受性を磨くためにも、読書をしたい」と思って、もう何年も経っている。本を買って読むことがなくなった。
昔から書くことが好きだから、書きたいという欲求はあるけど、インプットがないからアウトプットするものがない。
最近、メルマガ登録している名言からインスピレーションを得たことを書いていこうとnoteを始めた。これは自分の中では1歩前に進めたこと。
メルマガの名言だけじゃなくて、ぼんやり観ていただけのテレビからもインスピレーションをもらって記事にすることもある。アンテナが少し復活したかな。
メルマガでまとめられた名著の一節ではなく、いつか自分で読んだ本の中からちゃんと自分で気に入った一節を記事にできるようになるといいな。
できるところから、一歩ずつ。