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「人は忘れようとすると、そのことをより鮮明に覚えるという『皮肉過程理論』というのがある。」

人は忘れようとすると、そのことをより鮮明に覚えるという「皮肉過程理論」というのがある。記憶の皮肉な過程の理論。

「このことは忘れよう」「元カレのことは忘れよう」「過去のことは忘れよう」と思えば思うほど、「何を忘れるんだっけ?」ということを思い出さなきゃいけない。「忘れるんだ。あのことは忘れるんだ…何を忘れるんだっけ?」と、忘れる内容を思い出すということを繰り返すことになる

逆に、「塩塗り療法」って私は言ってるんですけど、「こんな嫌なことがあった」「こんな嫌なことがあった」とずっと言ってると、くよくよすることに飽きるんですよ、自分が。

飽きてる時は、失恋が終わってる時なんです。「忘れないぞ」とずっと思う方が、どうでもよくなるんです

   植木理恵(心理学者)

「ホンマでっかTV」


失恋の痛みを忘れたいというよりは、好きな人との記憶を忘れたくない。

人生でめったにできない経験はずっと覚えていたい。

自分の中でずっと宝物のように大事にしたい。

それなのに忘れてしまう記憶もあるのは、こんな皮肉なことが起きてたのか。


楽しい時間を過ごした日は、「今日のことはずっと忘れたくない。ずっと覚えておくんだ。」と自分に誓う。

海外でホームステイをしたことも、人生で何度も経験できることではないし、初めて感じたことや学んだことは、だんだん当たり前のことになって自分の中に吸収されていくので、心が動かされた時の感動は忘れたくない。

自分の記憶力に自信がないので、日記に書いて、後で思い返せるようにする。そうすれば追体験もできるかな、という効果も期待して。

その日起こった出来事を事細かに、その時の相手の反応や自分の感情をできるだけ詳しく書き留めようとする。


でも、完璧に記録することも記憶することもできない。

私は思い出に対して貧乏性なのか、忘れてしまうことを「もったいない」と思ってしまう。「せっかく素敵な時間を過ごしたのに忘れてしまうなんてもったいない」と。

だから、長く余韻に浸れるように何度も思い出すようにする。

日記を読み返すことは実はそんなにしないんだけど、久しぶりに記憶をたどってみようとすると、細かいところの記憶があいまいになっていたり、人に話そうとしたときに忘れていることに気付いたりする。


覚えておきたいのに忘れてしまうのは、何度もその余韻に浸りすぎて、実は飽きてしまっているのか。

大きく心が動かされたことはそう簡単に消えなくとも、海外の語学学校に通っていた時の通学路とかクラスメイトのことは忘れていることも多い。本当はそういう些細なことも覚えておきたいのに。


反対に、恥をかいたことは覚えておくつもりはないのに、記憶が鮮明だ。

怒りや嫉妬といった感情を覚えた人のことも、忘れた方が幸せだろうに、なぜか覚えている。思い出すだけで嫌な気分になるのに、その人たちの表情まではっきりと思い出せる。

脳のメモリは限られているはずだから、嫌な記憶でその大事な容量を奪われたくない。



この「皮肉過程理論」に逆らうために私がやった方がいいことは、「心を動かされる経験を増やすこと」だと思う。

思い出は、人と関わる時に生まれることが多い。

だけど私は、新しい人と出会ったり、新しい場所に行ったりするまでのハードルが高くて、心を動かされるチャンスを狭めている。

それは、無意識に恥をかくことや傷つくことを避けるためだけど、それを避けすぎて、良い思い出を増やすこともできていない。

思い出を増やして、脳のメモリをどんどん更新していけば、「忘れてしまうのがもったいない」と、昔の思い出に固執することも減るはず。

固執しなければ、何度も思い出して逆に忘れてしまうという「皮肉」にも打ち勝つことができるはずだ。


早くもっと気軽に人と会えるような状況になってほしいですね。



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