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「あまり他人の同情を求めると、軽蔑という景品がついてくる。」

あまり他人の同情を求めると、軽蔑という景品がついてくる。
   ─ バーナード・ショー ─ (イギリス劇作家)

「20世紀の名言」


自分がつらい時に、「大丈夫?」と心配されたり、「大変だね」「無理しないで」と同情してもらえると嬉しい。救われる。励みになる。

でも、それには中毒性もある。

「やっぱり今の私の状況って大変なんだ。大変って思ってるのは勘違いじゃないんだ」と分かると、「大変だから配慮してもらいたい」「もっと気遣ってもらって当然」「もっとかまって」という思いに囚われていく。

あまりにその中毒に侵されると、そのうち周囲から「これだけで大変って騒ぐなんて能力高くないんだ」「ちょっと甘えすぎ」「周りに対する感謝が少ない」と、軽蔑されてしまう。


特に、人と揉めてる時は要注意。

「相手が間違っていて、自分が正しい」と思いがちだから。周りの人も自分と同じ認識でいてもらいたいし、味方になってもらいたいと思うだろう。

すると、周りの人に状況を訊かれた時、「客観的に事実だけを説明しないといけない」と頭で思っていても、つい自分に都合の良いように説明してしまう。

「相手が間違っている」と周りにも思ってもらいたくて、自分の悪いところは隠して伝えてしまう。

悪意がなくてもそうしてしまうことがあるから、悪意がある場合はさらに誇張して自分の都合のいい事実を作り上げてしまう。


話を聞いた人が自分に同情してくれると、やはりその中毒性にハマってしまう。

「そう!私の方が正しいの!」と思ってしまう。そして、「まだ言ってなかったけど、実はあの人はこんなこともしてきたし、こんなことを言ってきたし、こんなことを企んでる」ってことを訴えたくなる。

ここまでなら聞き流してくれる人も、ずっと同じ悪口を繰り返されたり、その問題と関係ない悪口まで訴えられ続けていると、同情して話を聞いていた人も、だんだん嫌気がさしてきて、軽蔑するようになる。

最悪の場合、自分が悪者になる。




私も簡単にこの中毒にハマってしまうけど、1つ、大きな成功体験がある。

学生の頃、この中毒に侵された人に攻撃されたことがある。

周りに何をどう話していたかは知らないけど、私の悪口を言いふらしているのは何となく伝わってきた。先輩や後輩とはだんだん距離を感じていった。

でも私は周りの人に何も言わなかった。

先生やスタッフたちは、やはり大人だった。どっちの肩を持つこともなく、平等に接してくれた。

私を攻撃してきた人は、それが気に食わなかったのだろう、さらに攻撃を強めてきた。あることないこと言いふらして、周りの人を自分の味方につけたがった。

やはり私は何も反撃しなかった。自分は悪いことをしていなかったし、自分の方が正しい自信があった。片方だけの話を聞いて、私を悪者にするなら、周りの人も悪いと思った。

先生やスタッフたちはそれを見かねたのか、私のことを心配してくれて、事情を理解してくれて、「そういうことだったのか。まぁ、何を言われても気にするな」と励ましてくれた。

それで救われた。その時は私自身も大人だったようで、調子に乗ることもなく、そのまま何もしなかった。仮にその時に私が反撃に出たら、周りが手を付けられないほどややこしい事態になっていたと思う。


その時にはまだこの名言は知らなかったけど、この学生時代の経験で、周りに過度な同情を求めないことを学べたと思う。

いつもそれができてるわけではないけど、もしまた人と揉めるようなことがあって、周りを巻き込むことになったら、ちゃんと思い出して、自分が正しいと思うやり方で乗り越えていきたいな。




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