「自分の判断で行動できるのは、どこにも属さない『迷子』だけだ」
私はどこにも属さない「迷子」でありたい。
何が良くて何が悪いか、
何が好きで何が嫌いか、
どこに行きたいか、
自分で見極めて、判断してから、動きたい。
自分と違う価値観がはびこっている環境に馴染みたくない。
自分が望まない風潮に染まりたくない。
本来の自分を見失いたくない。
自分というのを持った人でありたい。
ただ、言うは易く行うは難し。
何も考えずに周りと同じように行動するのは、楽なのも事実。
「みんなそうしてるから」
「今までこうしてきたから」
「流行ってるから」
自分で頭を使って考えなくてもいいし、みんなと同じだから話が合う。
不都合があっても時代や環境のせいにできる。
責任を負わなくてもいい。
逃げ道がある。
大多数の中に紛れて目立たずにいられる。
周りの人がみんな同じ考えである場合、それなりの論理があるはずだ。
「楽だから」
「得をする人が多いから」
「便利だから」
「伝統を守りたいから」
「効率的だから」
「公平だから」
「このままで問題ないから」
「都合がいいから」
その風潮の中で、自分だけが違う判断をして行動しようとすると、かなりのエネルギーを要する。
自分の判断に従おうとすると、自分の論理が、他の人も納得できるものでないといけない。
そうでないと、他の人の価値観を否定することになったり、労力を割いてもらったり、損する人が出てしまったりするかもしれない。
自分自身に心ない言葉が向けられるかもしれない。嫌がらせされるかもしれない。
そもそも自分の判断が、自分にとっては正しくても、他の人には正しくないかもしれない。
だから、よっぽど自信やこだわりがないと、もめ事を起こすよりは長いものに巻かれた方が楽になれる。
自分もどこかに属したくなると思う。
それに、みんなが同じ意見を持っている状況だけでなく、それぞれがバラバラの意見を持っている時も、迷子にならないとは言い切れない。
誰しも自我があって、その人の中で譲れない価値観というものが存在する。
それがバラバラすぎると、どこに合わせたらいいか、何を尊重したらいいか分からなくなる。
そのうち、自分の価値観を守ることに疲れて、諦める人が出てくる。強い人の考えに流れる人が増えて多数派ができあがったり、派閥ができたりする。
その時に、つい流されてどこかのグループに入って楽になりたくなるけど、いったん立ち止まって、自分なりの正しさを見つけられる人でありたいなと思う。
何に対しても、自分の中で「これが良い」「これが好き」という意見を持ってるようになりたい。
ただ、自分の意見があるからといって、もしその意見に自信があったとしても、周りに迷惑をかけたり傷つけたりしてまで、無理に周りに押し付けることはしたくない。それとこれとは別問題。
転職経験もあって、「どこにも属していない」ことの心地よさを知っている。不安で怖いという気持ちもあるけど、客観的に状況を見ることができるのは、なかなかおもしろい。そして、自由。
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