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「自分の判断で行動できるのは、どこにも属さない『迷子』だけだ」

時代の風潮、
自分を取り巻く環境、
さまざまな価値観、

それらを正しく見きわめ、
自分の判断で行動できるのは、
どこにも属さない「迷子」だけだ。

   
夏目漱石

心を輝かせる名言集


私はどこにも属さない「迷子」でありたい。

何が良くて何が悪いか、
何が好きで何が嫌いか、
どこに行きたいか、
自分で見極めて、判断してから、動きたい。

自分と違う価値観がはびこっている環境に馴染みたくない。

自分が望まない風潮に染まりたくない。

本来の自分を見失いたくない。
自分というのを持った人でありたい。



ただ、言うは易く行うは難し。


何も考えずに周りと同じように行動するのは、楽なのも事実。

「みんなそうしてるから」
「今までこうしてきたから」
「流行ってるから」

自分で頭を使って考えなくてもいいし、みんなと同じだから話が合う。

不都合があっても時代や環境のせいにできる。
責任を負わなくてもいい。
逃げ道がある。
大多数の中に紛れて目立たずにいられる。


周りの人がみんな同じ考えである場合、それなりの論理があるはずだ。

「楽だから」
「得をする人が多いから」
「便利だから」
「伝統を守りたいから」
「効率的だから」
「公平だから」
「このままで問題ないから」
「都合がいいから」

その風潮の中で、自分だけが違う判断をして行動しようとすると、かなりのエネルギーを要する。

自分の判断に従おうとすると、自分の論理が、他の人も納得できるものでないといけない。

そうでないと、他の人の価値観を否定することになったり、労力を割いてもらったり、損する人が出てしまったりするかもしれない。

自分自身に心ない言葉が向けられるかもしれない。嫌がらせされるかもしれない。

そもそも自分の判断が、自分にとっては正しくても、他の人には正しくないかもしれない。

だから、よっぽど自信やこだわりがないと、もめ事を起こすよりは長いものに巻かれた方が楽になれる。

自分もどこかに属したくなると思う。


それに、みんなが同じ意見を持っている状況だけでなく、それぞれがバラバラの意見を持っている時も、迷子にならないとは言い切れない。

誰しも自我があって、その人の中で譲れない価値観というものが存在する。

それがバラバラすぎると、どこに合わせたらいいか、何を尊重したらいいか分からなくなる。

そのうち、自分の価値観を守ることに疲れて、諦める人が出てくる。強い人の考えに流れる人が増えて多数派ができあがったり、派閥ができたりする。

その時に、つい流されてどこかのグループに入って楽になりたくなるけど、いったん立ち止まって、自分なりの正しさを見つけられる人でありたいなと思う。


何に対しても、自分の中で「これが良い」「これが好き」という意見を持ってるようになりたい。

ただ、自分の意見があるからといって、もしその意見に自信があったとしても、周りに迷惑をかけたり傷つけたりしてまで、無理に周りに押し付けることはしたくない。それとこれとは別問題。


転職経験もあって、「どこにも属していない」ことの心地よさを知っている。不安で怖いという気持ちもあるけど、客観的に状況を見ることができるのは、なかなかおもしろい。そして、自由。



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