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日本酒の発展に貢献した幻の全国清酒品評会 その3 紹介酒は賀茂鶴 広島錦 中汲み 純米大吟醸 (広島県)

何の競技に置いても表彰台の独占、非常に難しい事ですし、ましてや全国レベルで行われていた全国清酒品評会で優等1~3まで一つの蔵で独占ってどうよって思いますが、これが実際にあった話なんです。1921年(大正10年)の第8回目の全国清酒品評会で優等賞34点中1~3等まで独占しました。※因みに協会の5号酵母(現在は配布されていない)は賀茂鶴さんから分離された酵母です。

(映像は2018年四大陸フィギアスケート選手権での表彰台独占)

この年に行われた第8回の清酒品評会は審査基準の修正、吟醸造りの出現など日本酒業界の変革の激しい中で行われました。結果は、優等賞34点中、灘酒の受賞0で、広島県が21点、秋田県が5点、岡山県が3点、愛知県が2点、以下栃木県と京都府と静岡県がそれぞれ1点づつという結果に終わりました。

※下記写真は賀茂鶴さんの酒蔵の写真です。(賀茂鶴酒造HPより引用)

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第8回の清酒品評会で灘酒は一つの優等賞も取れなかったにもかかわらず、市場では相変わらず強さを発揮していました。第8回の品評会で審査員を務めた中の一人のは、あの速醸酛による酒造りを確立した江田鎌治郎技師でしたが、品評会において目標とする優等酒の資格条件としてⅠ色沢淡麗で青みを呈し、Ⅱ香気芳烈、Ⅲ風味濃醇であることを掲げていました。一方、この頃の市場のニーズは逆に極力淡麗で飲みやすい酒が求められたように思われます。つまり、市場で言うところの良い酒と、品評会で言うところの良い酒の意味に大きなズレが起こってしまっていました。しかも、当時は現代と違って一度に仕込める酒の量も少なかったと考えられますので、灘のような大手の蔵で仕込が多いところでは当然のことながら市販酒の生産に集中せざる得ないし、品評会の吟醸酒自体が現代の吟醸酒とは違って濃醇甘口で旨味の強い味となっていて、当時市場で求められた比較的淡麗辛口の酒ではなくなっていました。
そのような状況であったために灘酒は顧客優先を重んじ、結果として清酒品評会への出品をボイコットしました。このボイコットに関しては、顧客優先という意味では正しかったと言えると思います。

※下記スチール看板は櫻正宗様のHPより引用

櫻正宗 スチール看板

その後、第9回の清酒品評会は史上最高の4,341点の出品がありました。昭和3年(1928年)に行われた第11回の清酒品評会で伏見の大手がボイコットを行いました。一方で品評会自体は、戦争の統制経済が厳しくなる昭和13年(1938年)まで行われ、昭和9年(1934年)に行われた第14回の品評会で5,169点という最大規模の品評会が行われるまでになっていました。この頃、何故ここまで品評会が盛り上がっていったのかを考えると、大正期、特に1914年(大正3年)~1918年(大正7年)に掛けて西ヨーロッパを中心に第一次世界大戦が行われた結果、ヨーロッパで不足する物資を供給することで、日本では成り金が出没する等、戦争が終了するまで好景気が続きました。1937年(昭和12年)に日中戦争が始まる前の大正期~昭和初期にかけての日本は、途中で1923年(大正12年)に関東大震災、1929年(昭和4年)に世界恐慌、1930~31年(昭和5~6年)に掛けて確かに昭和恐慌と有りましたが、1932年(昭和7年)に満州国を立ち上げ、満州に進出する等して早い時期に恐慌から経済的に立ち直っていて、アメリカとは比較にならないにしても、当時としては先進国の一つになっていて、農村などはまだまだ貧しかったにせよ、商社の駐在員が世界で仕事する等それなりに経済的に発展していたのは事実だと思いますし、また、明治後期から昭和初期に掛けて、外国の駐在員向けに日本酒が海外へ輸出もされていました。※菊正宗さんの資料によれば、明治45年~大正6年まで9千~1万石、昭和10年~14年まで8千~1.1万石菊正宗さん1社だけで海外へ移出しています。2017年日本酒出荷量は1位が白鶴さんの約317,600石、2位が松竹梅さんの約301,600石、菊正宗さんは8位で87,000石でした。海外への移出数量は1位が白鶴さんの約16,700石、2位が月桂冠さんの約9,300石、菊正宗さんが5位で4,700石ですから、恐らく今の日本酒出荷量というのは、毎年増えていると言っても戦前の大正から昭和初期と大差ないように思われます。(数字の出典元は、菊正宗さん通信教育テキスト日本酒の市場、日本酒蔵元の集積と海外展開-飛騨・信州の事例から-1井出文紀(近畿大学経営学部准教授))※下は1917年(大正6年当時の東京です。見てみて経済状況を現代と比べると厳しいにせよ、それなりに経済発展はしています。)

その後、戦争の激化により中断された清酒品評会は昭和21年(1946年)に再開されましたが、規模は戦前とは比較にならない小規模で行われました。(昭和21年の出品数が387点)この品評会は昭和26年(1951年)を最後にいったん中止されます。
その後、日本酒造組合中央会の主催により昭和27年(1952年出品数3,817点)に復活清酒品評会と形を変えて再出発しましたが、昭和33年(1958年出品数7,118点)の第4回清酒品評会を最後に品評会自体が開催されなくなりました。中止の理由についてはⅠ審査基準の困難性、Ⅱ受賞制度の問題、Ⅲ審査の処理能力の問題の3つの理由が挙げられています。

※下は東京タワー画像(go tokyo 東京観光の公式サイトより引用(https://www.gotokyo.org/jp/spot/4/index.html)

東京タワー

日本酒テイスティングデータ
銘柄 45、賀茂鶴 広島錦 中汲み 純米大吟醸 (広島県)

主体となる香り

原料香主体、清楚な果実香と淡いハーブ香有

感じた香りの具体例

 炊いた白米、生クリーム、マシュマロ、甘夏、スダチ、白桃、ライチ、マスカット、千歳飴、スペアミント、クレソン、ミネラル

甘辛度 やや辛口

具体的に感じた味わい

スッキリドライな飲み口、柔らかくなめらかな旨味が主体、後味はキレよくスッキリ、スペアミントやスダチを思わせる含み香

このお酒の特徴

スッキリドライ、柔らかくなめらかな味わいの薫酒

4タイプ分類 薫酒

飲用したい温度 12℃前後、40℃前後

温度設定のポイント

12℃前後にて、スッキリドライな味わいと清楚な果実香を引き出すか
40℃前後にて、柔らかくなめらかキレの良い味わいを引き出すか

この日本酒に合わせてみたい食べ物

てっちり、鶏の塩焼き、山菜そば、アナゴ竹輪、フグの皮の湯引き、桜鯛の天ぷら、シーザーサラダ、ラムネのゼリー等

お問い合わせは 酒蔵  https://www.kamotsuru.jp/
Quoraテイスティングブック https://jp.quora.com/q/vqteahszdbwtotmx


※日本酒4タイプ分類に関しては、SSI(日本酒サービス研究会)の分類方法を引用し、参考としています。
※写真は製造元酒蔵様のHPより引用しています。



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