【ミニマリズム】自称「ずぼら」は本当に「ずぼら」なのか
「ずぼら(ズボラ)」ってなんだろう? ChatGPTに問いかけてみました。
なるほど。そういう定義であれば、まさに私は「ずぼら」ど真ん中の人間だと思います。たしかに、掃除や片付けは好きでやりますが、完璧にはほど遠い。生活全体の90%は細かいことを気にせず過ごしています。
この毎日書くnoteやブログでさえ、日々のあれこれを思ったまま書いているだけですし、必ずしも誰かの約に立つ回ばかりではありません。「ずぼら」で気分屋のざれごとと言っても良いでしょう。
そしてこの「ずぼら」という言葉、往々にしてミニマリストさんのプロフィールやキャッチコピーで目にすることが多くないですか。
ですが、そこでいつも感じる違和感。それは、その人物像をたどっていくと、「この人、ぜんっぜんずぼらじゃないやん!」
ずぼらミニマリストさんであったり、ずぼらゆるミニマリストさん。その多くは対外的にその節約術・収納術などとわかりやすく発信していて、ウェブページやSNSアカウントなども見やすくあか抜けています。投稿もきちんと頻度を守って丁寧にされている。
私も「ずぼら」をきっかけに共感して近寄っていったら、「え、ぜんぜん自分とちがうしずぼらじゃないやん」とおそれをなして、さっと身を引いてしまう。そんなことがよくあります。
ネットにあふれる自称「ずぼら」のインフルエンサーさんたちは、「ずぼら」の同志の希望。きっとそうなんでしょう。「ずぼらな私にも、できる!」と勇気を与える立場なのでしょう。
ですが、なんだか胸に感じる違和感は、「ずぼら」の看板を掲げつつも実はマメでしたたかさを備えていないと、「自称ずぼら」とは言えないような、そんな風潮があるような気がします。
良い悪いではないのですが、そんなことを考えたら私はおそれおおくて「自称ずぼら」の方には近づけないし、「真のずぼら」としてネットの隅っこでうねうねしていたいと思ったのでした。
ねぇ、ChatGPTさん、ずぼらなミニマリストをイメージした画像を作ってくれますか?
ほらね、ぜんっぜんずぼらじゃないし、おしゃれやーーん!!
って、今日のわたし、なに卑屈になってんの?
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫