全ての現代人は『猫又まんま』を読むべき
あなたは『猫又まんま』という作品をご存知だろうか。
それは、講談社の月刊誌モーニング・ツーで連載されている、料理漫画だ。最新号では七話が掲載されている。
おっと、「料理漫画? 将太の寿司みたいな? じゃあ帰るわ」とお思いの方、どうか落ち着いてほしい。猫又まんまは、素材の見立てやら調理の腕やら睡眠時間でマウントを取り合う料理バトルものではない。ついでに言うと、ダンジョン飯のような異世界料理譚でもない。
現代日本で、齢35の男が、亡くした奥さんを想いながら、失くした奥さんの残したレシピで料理を作る漫画だ。
ただそれだけの漫画なのに、そこには我々を引き込み、共感を呼び、そして涙させるだけの"物語"が息づいている。
私はこの作品を、出来るだけたくさんの人に読んでほしいと思って筆をとった。とりわけ、愛する者を持つ人、猫が好きな人、家庭料理が好きな人、幽霊や妖怪が好きな人──そしてなにより、"真の男"が好きな者には絶対に読んでほしい作品だ。
あらすじ
(公式サイトより抜粋)
縁田佐分太(えにしだ・さぶんた)、古道具屋を営む三十五歳。最愛の妻・環(たまき)を失い、ひとりじゃなんにもできない男。見かねた環が「化け猫」五目(ごもく)と愛情レシピで佐分太を救う。
僕にもできる、君にもできる。簡単&おいしい「わびメシ」漫画!
この物語には、冴えない男と、その妻の幽霊と、そして目つきの悪い猫又が出てくる。
彼はもともと生活の殆どを妻に頼っていて、特に料理は包丁が怖いくらいだ。妻と死別して以来1日3食をコンビニ飯や菓子パンで過ごし、このままでは現代病を患って死ぬのも時間の問題だ。
私は今妻が死んだら佐分太みたいになるって自信を持って言える。
さて、そんな佐分太を心配する、妻の環と猫の五目。
前述の通り、環は幽霊で、五目は猫又だ。環は幽霊なので佐分太には見えないし、触れることもできない。それでも佐分太に長生きしてもらうためになにかしたい、と考えた彼女は、五目に「レシピの代筆」をお願いすることにしたのだった。
さあ、縁田佐分太35歳、ちゃんと料理を作れるか?
……と、いうのが大体のあらすじだ。
今回のコラムでは、料理ものとしての側面、怪奇ものとしての側面、の2点から、本作品の魅力を語ろうと思う。こっからクソ長いから覚悟しろ
- 料理ものとしての『猫又まんま』 -
その料理は"大切な人に生きてもらうための料理"
包丁無宿とか将太の寿司とか、料理漫画は「料理スキルの高い人が、すごい料理や心温まる料理を作る」ことが多い。一方『猫又まんま』は、大切な人のための料理を「その大切な人本人が作る」という構図になっている。
「大切な人」とは勿論佐分太のことで、佐分太は料理のド素人だ。つまり、ハナっから美味しい料理やら心温まる料理を作ることが話の目的ではない。では、この話の目的とはなんだろう?
それはただひとつ、「佐分太に元気で生きてもらうこと」だ。
本作にはたくさんの「環のレシピ」が出てくる。それは、佐分太の食欲がなさそうな日はさっぱりうどん、佐分太が徹夜した日はトマトを使ったパスタ……といった具合に、佐分太のコンディションを思いやり、佐分太を元気にするためや、元気づけるためのメニューだ。
この漫画は毎回、"大切な人に生きてもらうための料理"を作り続ける。それが本作の最大の魅力なのだ。
ちなみに妻の環さんはめちゃめちゃ可愛い。優勝。
"佐分太が作る"ことにより生じるパワー
料理ものとしての本作の魅力は、その"目的"だけではない。環の心のこもった料理を"佐分太が作る"というところも大きなポイントだ。
佐分太は五目が見つけてきた環のレシピ(実際は五目が代筆したレシピ)を見て料理を作る。佐分太は「ああ、食欲ない時に環はいつもこれ作ってくれたな」などと思い返しながら食事を作り、食べる。
これらの料理は佐分太に対する環の愛そのものである。自らそれを作ることにより、佐分太は──そして読者も──環の愛を感じ、環を思い出す。
そして、気付くのだ。「作り方も材料も同じなのに、なぜだろう、なにかが違うんだ」と。その瞬間、津波のように悲しさや侘しさが訪れる──これは普通の料理漫画だとなかなか味わうことのない感情だ。
は〜〜〜〜環さん可愛い超可愛い
もちろん環は「料理初心者の佐分太でも作れるように」という思いやりも忘れない。まぁ、五目という"お手伝い"がいるのも大きいのだけど。
はじめは包丁使う時の"猫の手"すら知らなかった佐分太氏
料理バトルものでは最終的にホスピタリティの高い方が勝利する。つまり猫又まんまは常に優勝していると言っても過言ではない。
そういうわけで、料理漫画が好きなら猫又まんまは絶対に読むべきだと私は思う。
- 怪奇ものとしての猫又まんま -
"想い"は希望にもなるが、呪いにもある
この章は結構ネタバレが多くなるのであまり多くは語れません
くどいようだが、環は幽霊で、五目は猫又だ。つまり、本作には怪奇ものの一面もある。とはいえ、幽霊モノにしては珍しくそこに悪意は存在していない──つまり、悪霊はいない。
さて、佐分太は環のレシピのおかげで希望を持って日々を送っている。とはいえ、それは本当に"良いこと"なのだろうか?
本作では「猫がどこからともなく環のレシピを見つけてくる」という不思議な事態を佐分太は素直に受け入れている。それどころか、「五目! 今日は○○が食べたいんだ!」とリクエストをしたりしている。はたから見るとかなり異常だ。
しかし、安心してほしい。本作では、その辺りを「そういうものだ」で済ませてはいない。むしろちゃんと向き合うべき問題として描かれている。
環のレシピが途絶えたらすぐにでも死んでしまうのではないかというほど、それに依存している佐分太。そして環もそれを望んでいるように見える。五目はそれとなく警告をしているが、あまり効果があるようには見えない……。だが、人間同士ならまだしも、幽霊と人間という関係において、それは成立しうるのだろうか?
その異常性に最初に言及するのは、彼らから一歩引いた存在、友人の津辻くんだ。佐分太の親友として、環とは違う形で佐分太に寄り添う存在である。私は彼が大好きだ。
彼がそれに言及する回──その1つ前の回も含む──は、それまでのほんわかまったりした雰囲気で油断した読者の首を一発で跳ねるような素晴らしい回となっている。ネタバレになるので言えないが、ぜひ、その目で確かめてほしい。
津辻くん。不動産屋の若社長。
本作は怪奇ものの側面もあり、そして怪奇モノにしては珍しくそこに悪意は存在していない──つまり、悪霊はいない。
今の所は。
"真の男"が好きな者も読むべき理由
冒頭で私はこう言った。
私はこの作品を、出来るだけたくさんの人に読んでほしいと思って筆をとった。とりわけ、愛する者を持つ人、猫が好きな人、家庭料理が好きな人、幽霊や妖怪が好きな人──そしてなにより、"真の男"が好きな者には絶対に読んでほしい作品だ。
私は逆噴射聡一郎のフォロワーなので真の男のための作品に弱い。しかし、考えてみてほしい。バーフバリ、コブラ、セレベスト織田信長……そういった、真の男が戦い、勝ってゆくものだけが「真の男のための作品」だろうか? 「俺は真の男になるんだ! 強い男が沢山殺すのが正義だ! お涙頂戴なんて要らないね!」という意見は正しいのだろうか。答えは否だ。
真の男……バーフバリやコブラでさえ、愛する者の前では弱みを見せる。勿論、愛する者を失えば涙するし、愛する者が残してくれた料理のレシピを見つけたら試しに作ってみたりもするし、それを食べて愛する者を思い出して涙するだろう。
愛する者を失った孤独、愛する者を思う気持ち。そういったものは真の男であっても変わらない。
そうなった時になにをすべきか。どう生きるべきか。この作品はそういうことを教えてくれる、真の男のための作品だ(ちなみにここでいう男とは魂の性別のことを指しているので心や身体の性別とは関係がない)
まずは第一話だけでも読んでくれ
この作品はモーニング・ツーにおいて、毎月ほぼ最後尾に掲載されている。週刊誌の場合は人気順に並んでいるなんていう話もあるが、猫又まんまについては意図的にここに置かれているように思う。
というのも、お寿司を食べた後に温かいお茶を飲んだような、お酒を飲んだ後にお味噌汁をいただくような、心の底からホッとする"なにか"をもった作品だからだ。しかもその"なにか"には、前述したようなスパイスが加えられ、忘れられない味わいとなっている。
私は第一話のこのシーンでやられた
まずは第一話だけでも読んでほしい。そして気に入ったら、モーニングツー本誌を買うか、単行本が出たら買ってほしい。
時代に残る名作となると、私はそう思っている。
ちなみに五目ちゃんはめちゃめちゃ可愛い。
猫好きはしのごの言わず読むべき。
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