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ビジョンをアップデートする
2007年〜2008年頃の「鬱だ氏のう」の最中、私はこんなビジョンを見ました。
自分は頑丈なドームの中にいる。
もちろん、ドームの中は真っ暗だ。光も注がなければ風も通りやしない。
その中で自分は、痩せ細った姿で、ただひたすら何かにおびえている。
そこへ{誰かが/何かが}一撃を食らわせた。
ドームに隙間ができた。
光と風が、痩せ細った自分に注ぎ始めた。
そしてその隙間は、徐々に広がっていった。
隙間が広がるたびに、自分は、えも言われぬ開放感に満たされた。
眩しすぎる光と吹きすさぶ風に戸惑い苦しみ、何度も斃れることになるけれども、その度自分は強くなっている(......と思い込んでいた)。
斃れながらも立ち上がる中で、やがてドームのほとんどは消え去り、周囲には壁だけが残った。自分の背丈かそれより低いぐらいか。
それが「目覚め」なのだと。
そして、他の「頑なに閉じたドーム」に向けて「もう閉じこもっていなくてもいいんだよ?」とノックし続けるのが我が使命なのだと。
折に触れそれを思い出してきたのだった。
しかし、壁の中の自分は、大事なことを忘れていた。
自分を守り、自分を愛するための「シールド」が必要なことを。
すべての光(あるいは闇)、すべての風に、まともに受け答えしなくても構わないということを。
自らの使命に沿うエネルギーを取り込み調和し、避けるべきエネルギーは受け流してお引き取りいただいてもいいということを。
そのためには、壁は透明でなくてはならない。
すべてを見通せなければならないから。
しかし、だからといって、すべてのエネルギーを素通ししてもなお揺るがずにいられるほどには、自分はまだ強くはないし「目覚めて」もいない。
ならば、自らを愛し、自らを守り、自らを力づけるための「シールド」を築くことが次のステップだ。
それに守られつつ、自らを愛し、自分が何ものであるかを自覚し、自らそれに拠って立てるだけの力をつけた上で、自らの使命に従うことが必要なのだ。
今の生で、何の防御もなしに目覚めていられるところまでいくか、確証はありません。しかし、いきなり壁を取り払ってもダメなことも、今回の「鬱だ氏のう」で自覚できました。
壁を取り払ったところに立ち尽くしていたのは、まだ痩せ細ったままのひ弱い自分。そこに「自ら立てるべきエネルギー」を与えてやらなければ、先へは進めません。
自らの正負両面を受容し、その上で自らの進む道、守るべきもの、取り合わなくてもいいものを見極め、生き様として示せるようになることが、次の課題なのかもしれません。