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小さな拘り

今回のお話は10年以上前に
神社にお手伝いに行っていた時のことを
思い出したので綴ります

神社の新年会で女性がたくさん集まり
わいわいしていると
ある方が、お留守番の子供の夕飯にカレーを
作ったんだけど、じゃがいもが無くて里芋を入れて作ってきた〜!

と聞こえた時に私は固まりました

何故って?
里芋は煮物!じゃないの?
ぬるぬるの里芋をカレーに入れちゃうの?

生まれてこの方、カレーに里芋を入れるという
発想さえ浮かんだ事がなく、驚いて頭が硬直してしまったんです

私が小さい頃から知るカレーの材料とは
肉、じゃがいも、人参、玉ねぎです
当時は、作りたい料理の材料が足りなければ、わざわざ車に乗って買いに行ってました

『材料が無いからと違う料理をするのも嫌で
こうと決めたらこうにするという性格で曲げられない性格でした』

それに4つの材料が揃わないと
美味しくないと思っていたのです💦

その後しばらくして
カレーを作ろうとしたら、じゃがいもが無くて
スーパーに買いに行こうとしたのですが、その日は買いに行くのがめんどくさくて、里芋カレーを思い出し、じゃがいもの代わりにさつまいも入れて作ってみたのですが、それはそれで美味しかったです!
(里芋カレーは今だ作ってませんが😯)

振り返ってみると
頭が硬いというか、隙間がないというか
完全に固定された思い込みでした

•小さい時に食べたカレーとはの材料
•材料が揃わないとカレーとはいえない
•材料が一つでも欠けるのは嫌

この小さな拘りがありました

この小さな拘りのために
わざわざ、車に乗ってスーパーまで買いに行っていたのかと思うと、窮屈な生き方をしていたなと思いました
今なら、材料が無ければ無いで違うものを
作るなり、ある材料だけで何かを作ります

幼少期に見たもの、聞いたものの記憶がそのまま固定されていて、これを自分の中の【普通】と思っていたのです

幼少期の固定された記憶は
それが【普通】と思っているので気づかない
自分が思う普通というフィルターです


皆さんも
【拘り】ってありますか?

自分が心地良いと感じられる拘りや、これは絶対に拘りたいということには窮屈さを感じないし、拘りを楽しんでいるので満足感もあると思います

一方で、何だかこの拘りは【窮屈】さを感じているけど、これは普通だからと見逃していることもあると思います

今回はカレーのお話ですが、誰かにカレーとはこうだ!と言われた訳でも無いのに、幼少期に見た母親の作るカレーが、正しいと思っているので
そのカレーを作る為にわざわざ材料を揃えることへの拘りでした
この拘りをゆるめたら、料理のバリエーション
が広がり、わざわざスーパーまで行かなくても済むので、気楽に料理をすることができるようになりました

今まで、これが普通だとして生きてきたことに
それは本当に
普通なのか?と問うのも良いと思います

これが普通だと思っているものに
自由な発想をしてみたらどうでしょうか?

頭の中をゆるゆると野放しにしてみたら
固定観念に気づくことがあると思います

まずは
小さなことでも何かに窮屈さを感じていないか?
なんかめんどくさいと思うけど•••いつもの癖でしていることはないか?など

本当は普通なんてものは無いんだけどね

本来の自分が感じるままに
解放して
自由に発想して楽しんで
自分が思う普通という枠を外したら
本当はどうしたいのか?を
ハートに聞いて
その答えを素直に受け止めて行動してみる

もっともっと
自由に生きていんです!
自分と言う存在をもっと自由にさせてあげる
限りなく頭の中をゆるめて
頭の中にしかない窮屈な枠から外れ
自由に生きよう

最後まで読んで下さりありがとうございました💖

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Spiritual Anatomy®
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