ママおばけ見たことある?と問われてないよと返したけどほんとは実家の階段でキョンシー見たことある
産前の私は、お笑い愛好家のバンギャでした。仕事が終われば劇場かライブハウスに足を運び、休日は両方をハシゴし、連休ともなれば都外へ遠征。キラッキラの多忙を極めていました。
もともとは地方の田舎に住んでいたので、ライブといったらまず遠征を基本としていましたが、あれ?月の遠征費合わせたら東京の家賃の方が安くない?と気付き、東京に引っ越しました。そんな遠征狂いがいざ東京に住んでみると、当然のように東京→地方の逆遠征をかまし、東京↔名古屋って新幹線使えば約1.5時間?横浜行くのとさして変わらんやん?遠征ちゃうやん?と、名古屋までは近距離説をとなえるようになります。
遠征先のホテルで過ごす夜が好きでした。ビールを買い込み、ライブのあれこれをふり返りながら酔っ払い、ローカルCMを珍しがりながら、気付いたら眠りに落ちて首が痛い………充実しているようで無駄っぽい時間が、今思えば、贅沢すぎて羨ましい。
出産を経た今はというと、終わりなきワンオペ育児に追われてライブに行く余裕などなく、ひとまずバンギャは休止中です。あがってはいませんが………意地でもあがりませんが!
全然余談なんですが、バンギャをやめることを「あがる」と言うのに対し、アイドルの担当をやめることは「おりる」と言うの、なんか面白いですよね。
で、お笑いの方もこのとおり、上手く楽しめなくなった次第です。
心身がヘトヘトに疲れてしまって、笑う準備が整えられないのです。
育児をしながら笑うなんて、無理。超繊細体力オバケの育児といったら難易度高めだし。やらなきゃいけないことをこなすだけで精一杯。やることやらなきゃ夫の機嫌を損ねてしまう。笑えなくていいや。楽しまなくていいや。死なない、できれば怒られない。それだけで十分………
と、仮死状態で生きている産後ですが、でもなんかカッコ悪いなと嫌気がさすこともあります。しんどいしんどい言ってる自分が、可哀想で、カッコ悪い。どうせ誰も助けてなどくれないのに、メソメソしてればいつか誰かが手を差し伸べてくれると、どこかで期待してはいないか。誰かが笑わせに来てくれるのを、持ってはいないか。
私を笑顔にしてくれる王子様は存在しません。お恥ずかしながら、私がパートナーに選んだ人は、無思考・無気力・無関心を信条にぼんやり生きるモラハラ男だったのですから。
そんなことより、です。彼にも誰にも期待している場合ではありません。私には、笑顔にしなければならない人がいるのです。息子が笑って生きられるように、健やかでいなければ。怖がりで泣き虫な彼に、世界って案外悪くないんだよって、おもろいこともたくさん見つけられるよって、もっと見せてあげたい。それが親としてのいちばんの役目では?
言い訳がましいかもしれませんが、いくら病んでも死にたくても、息子と接するときは元気で楽しいママを続けてきました。息子との時間を心から楽しい!尊い!と思えば、自然と笑顔が出てきます。そんな日もあれば、どうにか上っ面だけでもと必死で口角を上げている日もあります。
そしてその上っ面の部分ですが、そう遠くないうちにバレるだろうなと危惧しています。子どもってたぶん、親が思っている以上に親のことを見ているし、察している。私の空元気が彼を傷つけたり、気を遣わせたりすることがどうかありませんように。
だから私は、健やかになりたい。息子ももう幼稚園生です。昼夜を問わず抱っこから降ろせば泣きわめく赤ちゃんだった彼がいつの間にか、大の字でドデンと眠っている姿なんかは頼もしくさえあります。
私も強くならなければ。息子はどんどん成長するし、一方、夫は何も変わらないでしょう。私がどれだけ病もうが死にたがろうが「倒れてないから大丈夫だろ」くらいにしか考えないのが夫です。メソメソしてればいつか気付いてこれまでの怠慢を反省し、改心してくれるなんてこと、あり得ません。夫のことはとりあえず見限ろう。諦めよう。
期待するから恨んでしまう。恨むから病んでしまうし、もしかして私、「育児に非協力的なモラハラ夫に病まされた私を憐れむこと」を、どこかでちょっと楽しんでない?それ楽しんじゃったら終わりじゃない?
そんなことを考えるようになって、ここらで現状を打開せねばと己を奮い立たせているところです。
産前と同じように、というのは無理があるでしょうが、あの頃のように好きなものを好きでいられる元気や余裕を取り戻したい。おもしろいものをおもしろがりたい。心を動かしたい………!
だけどいったん死んだ心を動かすって、むすかしいです。大好きだった音楽を聴くのも、お笑いを見るのも、とてもつらい。頭には楽しかった記憶が残っているのに、心は楽しみ方をすっかり忘れてしまっています。その事実を自覚するのもまたつらいことでした。
というわけで、リハビリとして見始めたのが、怪談です。
「怖い」ってとても強制的な感情なんですね。怖がり方なんて知らなくても、怖いもんは怖い。
「おもしろい」とか「楽しい」といった感情が生まれるには、「おもしろがる」「楽しむ」という自発性がある程度は必要なようです。心身が「おもしろがれない」「楽しめない」状態になって初めて気付きました。
そんな状態の私でも、「怖い」なら発動する。強制的に発動させられるのです。この引き出されている感覚に、なんだか嬉しくなってしまいます。
なんか方向性ちゃうくない?急にやる気になってるときって逆に走ったら危なくない?などの疑念もうっすらありつつですが、YouTubeなどで怪談を聞いては心を震わせる日々を送っています。
怖いっておもしろいかも。