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仕事や創作はいつも愛情

 拝啓

 この手紙のようになる少し前から、わたしは伝えられるようになりたくて書いていました。
 愛はもらえるようになる前に、自分から手渡そうとするもので、知っていることはまず自分に言い聞かせて、それでようやく表すことは、いつか届くようになると信じて。

 あと9通分で、わたしの文からは、拝啓が消えます。封筒を頼りにしていたようで、すごく怖くなります。
 あと、歌の練習をするといつもこうなります。
 あの届く宛のない大き過ぎる愛情を、愛情が大き過ぎて怪しまれたり、拒絶されてどこへ持って行けば良いかわからなくなって、苦しかった自分に戻って、誰か受け取ってと心の中で叫び続けなくちゃ。

 でも愛情は恐い顔しているものではないから、そして、受け取れば良いだけのものが、何かわからなくなっているのに、大きいも小さいもないから、封筒が無くなったら、わたしは紙に愛情をしのばせて、関係ないような、それでいて、確かにわたしにはわかっているけど言ってもわかられないような、大事なことを、この時代に残して、去ってゆくのです。

 前の紙がぐしゃぐしゃでごめんなさい。(この紙は半紙屋さんで購入した書道半紙白雪。そう、わたしは書道半紙に万年筆で書いています。失敗したときにぐしゃぐしゃにとてもしやすい。とても小さくなる。字は書きやすいです)
 やめようと思ったけれど、やっぱりこれです。

 さて、封筒がなくなったら、わたしは(正体を少し著して)お話を書きます。お前にはわたしが見えているのか!?と思うことがあるかも知れない。そんなお話を書きます。

 封筒が100通分いっぱいになったら、これはいつか、ばらまいてしまいます。
 これを見たあなたしか見ることができない未来へ。
 草々不備(一枚目ぐしゃぐしゃの日)

 令和4年2月18日 金曜日付
 Y.J




11.729光年彼方へ枯渇しても愛を湧かす


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