オペラグラス
拝啓
漠然と、なにか、いろんなものがすごくなって、怖くなって、わけがわからなくなってきた日は、天井や空を見ます。今は天井です。
天井を見ると、電気と、天井の壁紙(貼り紙と書いていますが壁紙です)の模様の細かいところまで見えます。
わたしは遠くまでよく見える目に生まれたから、壁紙の模様などについて何か言っていることがあります。(聴いたって意味がないようなことだといっしょうにふされることが多いけれど)
その日のために生きていると言っても過言ないのでしょう。あなたが遠くのものを細かく見る必要があって、見えなくて、オペラグラスを持っていなかったら、わたしが見たとおりのことを、できるだけ見たとおりに伝わるように、言葉を覚えています。
なにか、いろいろ見すぎて、なんていうのかわからなくなったら天井を見るか、頭をどうでもよいものでいっぱいにします。
どうでもよい気分の良いもの。
どうでもよい気分の良いものは、大体モノです。
命のあるものは大事に扱っても捨て身にまでなったりなられたり、他人ばかりけしかけたりは笑えませんから、あなたもわたしも半分モノであるために自分で自分を大事にする。
そんなことはどうでもいいので、天井を見て、天井を仰ぎ見て「ああ、果てしない」とつぶやきます。
ああ、わたしは果てしなくなって(思考が情報が飽和して漠然として)いるんだ。
わたしは大抵、人間の想定の範囲内の人間なので、このように果てしなくなる時間がたまに来るのを知っています。初めてを見つけよう。
見つけましょう。(感情) 草々不備
令和4年2月13日 日曜日
みぞれ 霙
Y.J
11.729光年彼方へ枯渇しても愛を湧かす
難しいです……。