数字の呪い(数字がなんやねんという話)
世の中、いろんな数字に溢れていますね。
テストの点数、お給料の明細、体重計、今月の売上金額。おうちにも会社にも学校にも、数字はたくさんあります。1+1=2だよと教えられたあの日から、ずっと私達の生活に関わってきている概念。
数字って便利ですよね。数字を使っている人同士である一定の共通認識みたいなものが持てるので、テストの点数で学力を、売上目標金額でその月に達したいゴールをみんなに示す。ある一定の基準に達すればOK、少しでも足りなければやり直し。みんながだいたいどれくらい頑張ればいいのかが分かるようになっています。
集団で動くならね、一定の基準みたいなものはあると便利だと思うんですよ。学校や会社では人手や時間が限られていて、その中で同じことを学んだり、何かを達成しなきゃいけなかったりするわけだから。一人ひとりが自由にのびのびやってたらとっても難しいもの。
だけど、なんだかそういう場ではないところで「数字」にとらわれ過ぎている人が多いのかなと思うことがあるのです。長めのひとりごとみたいなものなので、興味のある方はよかったら読んでいってくださいな。
学校や会社でずっと数字で管理されることに慣れてきたからなのか、数字に置き換えて考えるのがなんだかんだ楽だからなのか、数字を使うと「分かりやすくて目立つ」からなのか。
人間の身体の重さや、お腹周りの長さや、胸の大きさ、食べたものの栄養レベル(カロリーとかたんぱく質とか)、インターネット上の”知り合いの数”および”あなたの人気度(フォロワー数など)”みたいな、「数字にしなくても別によかったのでは?」というものがバンバン数値化されて、しかも他の人と容易に比べられるようになりました。
身体のことはね、確かに数字にするメリットもあると思うのですよ。
「毎日こんなにカロリーを取っていたら病気になってしまうから、少し減らすようにしたほうがいいですよ」
「BMIが低すぎると体調が悪くなってしまうよ、もう少し食べないと。」
とかとか。
あ、なるほど、私はカロリーを取りすぎていたからカロリーを減らせばいいのね。そんな風に捉えて、少し控えるようになって健康になった。
そんな人もたくさんいると思うんです。
(私もバストアップ頑張ってたときに栄養素とかカロリーとかの数値をめっちゃ気にして、その結果いろいろ整った経験があるので数字の大切さは身に染みて感じております)
危ないのは、「数字を整えること」に執着しすぎるようになってしまったとき。
体重が500g増えた
バストサイズが1cm小さくなった
今日はたんぱく質30gしか取れてない
だからなんやねんと。
体重なんて1日の内に1kgくらい前後するらしいし、バストサイズも測り方や生理周期の関係で多少変わったりするし、体調悪いときにたんぱく質を無理して食べるとかえって消化によくないし。
だからなんやねんという話なんですよ、全部。
ただ、私も本気でこういう数字を気にしてたことがありました。バストサイズ毎日測って、たんぱく質の摂取量が足りなかったらお腹いっぱいでもプロテイン飲んで。
なんかいつもピリピリしてたなあ。
食べ物選ぶときは必ずたんぱく質を意識して。「これあんまり美味しくないけどたんぱく質多いから・・」って感じで選んでました。そんなんご飯楽しくないですよ。
その割に、「あら!今日バストサイズちょっと上がったかも!」と密かに喜んだすぐ後に夫から「ん?なんか小さくなった?」とか言われちゃったりね。きいいい~~っ!ってなるよね。
まぁそんなこんなで数字にこだわりつつボディメイクしてたんですが、疲れちゃったんですよねいろいろ。なにがきっかけだったかはあんまり覚えてないんですが、徐々に数字のこと気にしなくなってゆきました。
恐らく、育乳のこと発信していくうえで「バストサイズとカップ数は、いわゆる胸の大きさに比例しない」ってことを知ったことと、中医学的な考え方に触れたことなどが影響しているはず。特に、「数字にこだわりすぎない」という中医学的の考え方がすごくしっくりきまして。
「確かにな、人間は機械じゃないんだし、毎日同じものを同じ量食べるんじゃなくてその日の体調や季節に合わせて調整するって大事だな」って妙に納得しました。(と同時に過去の自分の食生活を振り返り、「あすけんでいい点だったけど相当負担かけてたんだろな」と反省)
あとは、とある本を読んで「どんなに胸のサイズを大きくしたところで、この胸がこの形のままずっとある訳じゃないな。もしかしたら、乳がんで切除することになるかもしれないし、子育ての過程で垂れるだろうし、なんならおばあちゃんになったらそんときはなんか自然に年相応(?)の胸がいいよ」なんて考えるようになったんですよ。
ついでにめちゃくちゃ頑張ってたTwitter運用も、ゆっるーくしました。正直しんどかったから!!つぶやくたびにフォロワーさん減ったりとか、渾身のツイートは滑るのにどうでもいいツイートがめちゃんこバズったりとか、「あ、この人フォロワーさん10000人超えたんや。。私より後からTwitterはじめたのに。。」とか!ひゃ!言っちゃった!
よくよく考えたら、フォロワーさんが一人増えたって減ったって私の人生が大きく変わるわけじゃないんです。だって私も誰かをフォローするときは「えい!私がフォローすることであなたの人生変えちゃうぞ!」なんて思ってないし。あ、おもしろそ~ぽちっとな~ってフォローするし。
なんだかこの人の考え方、ちょっと見てるのしんどくなってきたかも。。って思ったらそっとフォローを外します。フォローする側ってそんなもんやなって思うと、「あ、フォロワーさん減った~考え方が合わんかったんやろか?お互い頑張ろね」みたいに軽く捉えられるようになりました。
そんなわけでもう今は好き勝手やってます。ぶっちゃけ一番フォロワーさん多かったときより400人くらいフォロワーさん減ってますが、ずいぶん気が楽になりました。楽しんでTwitterしてます。いつも仲良くしてくださるみなさま、本当にありがとうございます。
そんなこんなで今に至るわけで、数字にこだわりまくった期間があったからこそ気づいたのは「数字の呪いは怖いなぁ~」ということです。
私はいろんな数字にピリピリする程度で疲れちゃったからよかったんだと思いますが、中には数字を追い求めすぎて「普通に食事をする」ことができなくなってしまったり、過激な発言を重ねることでSNS上での数字を稼いで問題を起こしてしまう人もいると思うのです。
もし、今ちょっぴり思い当たるなぁって思ってくれた方がいるのなら、思い切って数字と距離を置いてみてください。
好きなもの食べるでもいいし、「おなかへった~!」ってツイートしてみてもいいんじゃないかな。食べるの苦手なら、他のことするのもいいし。
数字って実は目の前の人からすると何の意味も持たなかったりするので、気にしすぎなくってもいいと思うのですよ(隣の席の同僚の体重、毎日把握してないでしょ?)
数字なんて気にならないぐらい、なにか好きなことしたり大事なことしたりして過ごしてもいいんじゃないかな。ゆっくりぼちぼち、生きてもいい思うんです。
伝えたいことを書き切ってなんだか満足したのでおしまい!ここまで読んでくださって、ありがとうございました。