諦めたのか、諦めざるを得なかったのか
今年もまた4月がきた。
社会人になってから毎年思い出す。日差しと草木が生み出した春の匂い。真冬から少しばかり湿度を増した空気。暖かさと冷たさが混ざり合った風。春到来の知らせを感じると、毎年思い出す。社会人1年目のこと。
あんなに頑張りたいと思っていた仕事。強がって飛び出した実家。初めての地方での一人暮らし。儚くも半年で終わりを迎えた。当時の私には、死ぬか辞めるかの二択だった。
どんなに辛くても、大変でも、諦めないでください。この前テレビを見ていたら、そう新社会人に向けてコメントを言っている人がいた。私は…。私は、諦めてしまったんだ。
あの半年は、たった半年だったけど、たったの半年だったのに、人生の記憶の半分ぐらいを過ごしたぐらい、私の人生に今でも重くのしかかっている。それは辛かったからというのもあるけど、それだけじゃない。諦めてしまったという負の気持ちが、いつまでも私を追い詰めているから。テレビを見ながら、どんなに辛くても諦めた者は負けなんだ。そう言われた気がした。
私は…私は諦めたんだ。毎日罵声を浴びさせられ、移動中は泣きながら営業先を回り、いらない、可哀想、話が通じないから来なくていい、なんで女なんだと言われ、分からないことは自分で調べろと言われながら、間違えたら勝手にやるなと怒られ、事故にも遭い、心身ともに普通でいられなくなった。会社は私を助けてくれなかった。みんなそういう道を通ってきたから、だから頑張れ。まだ学生気分が抜けていないんだ。
諦めず続けられる人は立派だ。間違いないと思う。でも、私はあの時諦めず続けるべきだったのか。諦めたら人間失格なのか。
今になっても答えがわからないまま、春になるとあの時のことを思い出して、そして今もなお、あの時の記憶と、諦めた自分に対するやるせなさに苦しめられている。
おわり
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