入院1日目
翌日。
まだ気持ちもなにも整理はついていませんでした。
それでも、職場と両親にだけはLINEで連絡をしました。
失礼だとは思ったけど、誰とも話したくなかった。
誰かの声を聞いたら、泣いてしまうと思った。
朝から入院と言われていたので、診療時間に病院へ。
夫が送ってくれましたが、道中会話はありません。
私も夫も、泣かないことに必死でした。
病院に着いてからがまた地獄でした。
待機場所が、一般の人たちと一緒だったのです。
これから出産を控える妊婦さん。
出産を終え、健診にきている親子。
みんな幸せそうで。私もついこないだまでその中の一人で。
誰が悪いとかじゃないけど、
出入口とかもう少し配慮があってもいいのにと思ってしまいました。
さらに、夜勤と日勤で連携がうまくできていなかったのか
30分以上放置され、やっと病室へ案内されました。
なんかな、私はもうここでお世話になる人じゃないから
こんな扱いなのかなっていろいろ悲しくなったことを覚えています。
怒りの感情は湧いてきません、ただ悲しくて悲しくて仕方なかったです。
病室では入院中の分娩に至るまでの計画を説明されました。
死産の場合、母体はまだ産む準備ができていないから
人工的に子宮口を開いたり、陣痛を起こすのだそうです。
初日は、子宮口を3回に分けて広げますといわれました。
言われるがまま、はいはいと返答だけしました。
また、去年はまだコロナが流行っている時期だったので、
夫にずっと付き添ってもらうわけにいかず、
処置が開始されるまでに帰るよう案内がされました。
急に心細くなって、一人でいるとどうしても考えてしまって、
涙があふれてしょうがなかったです。
午前中に1回目の処置。
分娩室に案内されます。
分娩台に乗りながら、産むために乗るはずだったのになと
どうしようもないことを考え、また泣けてきます。
隣の部屋からは、赤ちゃんの産声が聞こえてきます。
私は、この処置をしても聞くことができないのだなと、
本当に辛くて辛くて、苦しくてしょうがない時間でした。
さらには、この処置がとっても痛い。
どんだけ悲しくても痛覚は残っている自分に心の中で嘲笑してしまいました。
当たり前ですよね、身体に人工的に異変を起こしているのですから。
この処置をあと2回することに、不安もありましたが、
私がお腹の子にしてあげられることは、わずかしかない。
最後くらい、できるだけ苦しまず、痛みを感じずに産んであげたい。
そう思って乗り切ることにしました。
病室に戻ると、夫からLINEが来ていました。
ビデオ通話をしましたが、顔を見ると安心して泣けてきます。
辛いのは夫も変わらないのに、私が自分を責めすぎないように
明るくふるまってくれる姿にも泣けてきます。
私の性格をわかってくれているからこそ、
大丈夫?とかしんどくない?とか聞いてこないところに
本当に救われました。
カラ元気だったかもしれないけれど、
お互いに沈み込まないためには必要なことだったのだと思います。
午後にも2回処置を行い、初日は終わりました。
ずっと痛い。痛い。痛い。
心だけでなく、身体にもダメージを負わなきゃいけないの?
と誰にもぶつけられない憤りの気持ちと
私がこの子にしてあげられることを全力でさせてもらおうという気持ちと
どちらもあってぐっちゃぐちゃでした。
夕方には夫が面会に来てくれました。
私が好きなお菓子や飲み物。
わたしと赤ちゃんそれぞれにお見舞いのお花まで。
少しでも私が落ち込む時間がないようにと
思ってくれるその気持ちが本当にうれしかった。
夫のためにも泣いてばかり悲しい顔ばかりではダメだなと
思わされました。
寝る前にはまた夫とテレビ電話。
私と夫とお腹の子と3人で同じときをすごせる最後の夜だからと
ずっと通話を繋げながらディズニー映画を見て過ごしました。
生きていたら、どんなアニメを好きになっていただろう?
なんのキャラクターにはまっただろう?
どんな風に育ってくれていただろう?
一昨日まで、
未来形で考えていた赤ちゃんの将来の姿を
過去形で考えながら。
最後の時を過ごしました。
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