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映画レビュー『パピヨン』(1973年)SマックイーンとDホフマンの二大スター共演!脱獄映画

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好きな脱獄映画は、この映画と『暴力脱獄(原題クールハンド  ルーク)』。この『パピヨン』は、映画『大脱走』でも特異な役柄を演じたスティーヴ・マックイーンが主役だった。そしてもう1人の主役が、ダスティン・ホフマン。この後、ホフマンは2度のアカデミー主演男優賞に輝いている。『クレイマークレイマー』(1979年)、『レインマン』(1988年)だ。名俳優2人が揃った傑作脱獄映画がこの映画、今回これを解説しよう。

*映画の概要
・原作 →作家アンリ・シャリエールの実体験に基づく小説である。
・監督 →フランクリンJシャフナー、映画『猿の惑星』で有名となった。
・脚本 →ダルトン・トランボ。戦後ハリウッド界での赤狩り(共産主義者排除)により、1950年6月監獄に1年間ほど収監される。
代表作は、『ローマの休日』(1953年)、『栄光への脱出』(1960年)、『いそしぎ』(1965年)。

この映画『パピヨン』は、シャリエールの自伝小説を、脚本家のダルトンが脚色したもの。自分の体験を織り交ぜて、心打つ作品に作りあげた。

*舞台は、フランス領ギアナ!
1930年代のフランス。凶悪犯は流刑となり、南米ギアナに送られていた。シャリエールの胸には昆虫の蝶々の刺青があった。フランス語でこの蝶々のことを「パピヨン」と言う。このため、シャリエールの愛称は「パピヨン」だ。

シャリエール(俳優スティーヴ・マックイーン)は、違法な周旋業者である「ポン引き」を殺した罪で捕まった。万引きとは、売春や詐欺などをおこなう輩である。まともな裁判は開かれず、重罪刑が決まる。シャリエール本人が言うには、「自分は無罪」。だが、遠く離れた南米ギアナに送られた。

送られる船の中で知り合ったのが、ドゥガ(俳優ダスティン・ホフマン)。国債の偽造で捕まったものだ。騙された多くの人から命を狙われていた。このドゥガ、金は持っているが、腕っぷしはまるでない。だから、いつ殺されてもおかしくはなかった。

*入所した刑務所「サンローラン」
南米ギアナにあったサンローラン刑務所。脱走は不可能だと言われている。ワニだらけの沼地、さらにその周りはジャングルで囲まれていた。そしてジャングルを抜けると脱獄囚を殺して賞金を稼ぐハンターが多くいたのだ。

囚人は過酷な労働を強いられた。脱獄囚の死体を見たドゥガ。気分が悪くなり嘔吐してしまう。看守はそれに腹を立ててドゥガを殴った。止めに入るパピヨン。パピヨンはすぐに逃げたが、捕まり2年の独房に入れられる。

ドゥガは、初めて気づいた。世の中に自分を助けてくれる人がいることを…。自分がいた詐欺の世界では、誰も助けてはくれなかった。初めてパピヨンの人間性を信じるようになる。

*独居房の過酷さ!
生きて出てくることは稀と言われている。広さ2メートル四方しかないうえ、食事もほとんど与えられない。それでも時折入ってくる虫を捕まえては食べる。ある日、支給された水に、ココナツ半切れが浮かんでいた。これはドゥガの差入れ。

この差入れが見つかり、誰が送ったか名前を明かすように脅かされるパピヨン。言わなければ食事はさらに半分すると…。しかし、パピヨンは口をわらなかった。死体のように痩せ細ったパピヨン。だが頑張りとおし、ようやく独房を出る。

*パピヨン、脱獄の再挑戦!
ドゥガは、フランスにいた妻が、弁護士をつかい減刑となり、あと2年で本国に帰れる手筈だった。しかし、パピヨンを撃ち殺そうとした看守を殴ってしまう。ドゥガもパピヨンと一緒に逃げるが捕まり、今度は地獄島へと送られた。

脚本家のドルトン・トランボ。彼も映画界で失職し、さらに刑務所に1年服役(実質10ヵ月)となった。このときアメリカ・ハリウッド界では、日々裏切りが行われたということがある。だが、トランボは誰のことも口にせず裏切らなかったと言う。つまりパピヨンと同じだったのだ。

*地獄島からの脱出!
島の周りの海には、人食いサメが多い。さらに島全体は断崖絶壁で覆われている。泳いで脱出するのは無理だ。だが、パピヨンはあきらめない。一方、ドゥガは死ぬよりはこの島に残った方が良いと考えた。

パピヨンとドゥガの台詞。
・ドゥガ    「ごめんな、パピー」
・パピヨン「謝らないでいい」
・ドゥガ 「お前、死ぬぞ」
・パピヨン「多分そうだろう!」
島にいっしょに残れと説得するドゥガ。だが、パピヨンは答えず、力強くハグした。そしてココナッツでつくった筏を海に投げ、自分も20メーター下の海に飛び込む。それはまさに蝶のように華麗だった。そして一言。「俺は生きてやるぞー」。

*まとめ
この小説を書いたアンリ・シャリエールは、40時間漂流した後、英国領のギアナにたどり着き、ベネズエラにいった。そしてそれから2年後に自由の身となる。1946年仏国ギアナ流刑制度は廃止となったと言う。

脚本家のダルトン・トランボ。全米映画界から抹消されたが、1970年には全米脚本家組合から功労賞を送られた。ブラックリストに載せられたトランボ、汚名をそそぎようやく米国映画界から認められたのだ。

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