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伊藤比呂美の『女の一生』読書感想文、自分の親夫婦からの気づき!
#女の一生 #伊藤比呂美
#読書感想文 #依存関係
詩人でエッセイストとの伊藤比呂美氏、さすがに詩人とあって、目のつけどころが違う。この本では、男にはわからない「女性の本質」を描いている。「歯に衣着せぬ」スタイルで書き上げたものだから、自分の体験でモヤモヤしていたものが、すっきりわかり、思わぬ学びになったことは間違いない。
*自分の生い立ちから考える!
父は、陸上自衛隊の一尉(軍隊時代の大尉)だった。このため、信州から静岡、そして北海道にまで移り住むことになる。父と母との年齢差は10歳。かなり歳が離れていたのだ。そのためか、母はやたらと父の言うことを聞く。2人揃って教育熱心で、私にいろいろな習い事をやらさせる。
ある意味、これはスパルタ教育だった。言うことを聞かなければ「お小言」が待っている。学校のテストで80点以下なら、1時間は説教された。とにかく異常とも言えるほど。このため、いつもビクビクして暮らしていたのだ。そうして両親のことは大嫌いだった。
助かったのは、中学に入ったときに商売を始めたこと。曲がりなりにも自営業であれば、仕入れから接客・販売・経理までやらねばならず、子供の自分にたいし口出しすることがなくなったのだ。まさに地獄からの生還である。するととたんに性格は明るくなり、友達や周囲の人を驚かした。
*我が家の問題点とは!
母は、父の言うことを何でも聞いてしまう。自分に対する教育もそうだった。2人して同じことを言うのだから、もう逃れることはできない。しかも「助け舟」を出すこともまるでなかった。これでは子どもの自由はないし、自分で何かやるという気にもならない。全くの内気で、言われたことしかやらない人間になってしまったのだ。
それが高校から大学くらいになると、父の要求はエスカレートしてくる。自衛隊を退職し、ほとんど父は母と対等の立場なのに、商売の販売も母にやらせ、家事のほとんどもやらせる。父としては、ほとんど何もやらず、ただ経理だけをやっていた。さらに親族などが訪ねてくると、決まって母に料理まで作らせる。こんなとき決まって店番を私がやるハメになった。
*「女の一生」にみる夫婦のあり方
夫婦関係というのは、下手をすると依存関係になるようだ。夫は自分のやるべきことも、妻にまる投げする。妻としては、夫に言われたことを忠実におこなってしまう。しかし、これが徐々に酷くなるのだ。さまざまな要求を突きつけてくる。しまいには妻は不満を爆発してしまう。
この本「女の一生」によると、これがまさに「依存関係」だと言う。夫である父は、つまり何もかも頼りきっている。妻がいれば、誰かまわず「大口」を叩くが、いないと何も話さなくなってしまうのだ。母の旅行のときなど、父は自分の部屋から一歩も外には出てこなかった。
*9歳10歳で肥満児になる!
小学校を4回も転校している。このことで、ストレスは大変なものだった。しかも内気なため友人もほとんどできない。小学校4年5年のときは、みるみる太っていったのだ。ただ、これもストレスばかりではなかった。父と母のせいだったのだ。
母は料理をつくるとき、かならず何を作るか?父に聞いていた。すると父は、好物の天ぷらを希望したのだ。これにより「晩ご飯」のおかずは、毎日が天ぷらとなった。これでは太らないわけがない。自分としては、このとき太った理由に気づかなかったが、ただ今となって、あの時の写真を見ると、父はバスケットボールのような顔をしていて、どうしてそうなったかがよく分かる。
*まとめ
伊藤比呂美氏によれば、夫婦といえども「あたしは、あたし」、「あなたは、あなた」として役割分担を決め、線引きすべきだと言っている。これが曖昧になると、家庭で不和が生じるとする。まさに我が家の問題がこれだった。父の依存症を助長させたのは、母自身だったということ、つまりは母の「共依存」だったのだ。
「他山の石」として、私自身、依存関係には絶対ならないと決めている。ある意味で、可哀想なのは、父と母2人だったとも言える。常に「言い争い」になるため、気が休まらなかったのではないだろうか。そのようにも思えてくるのだ。夫婦関係とは、まさに不思議な関係に思えてくる。