[ 歴史 ]誤った歴史教育の悲劇。『自爆攻撃』を正当化!

#太平洋戦争    #歴史教育
#徳川光圀 #楠木正成 #歴史
#特攻 #自爆攻撃 #湊川の戦い

毎年8月になると、太平洋戦争特集がテレビで放映される。最近では動画配信でも見れるようになった。いつも思うことは、この時代の日本人、誰もが狂気の中にいたということだ。各メディアも戦争放送に明け暮れ、学校でも軍国教育がまかり通っていた。極めて危険ともいえる思想、この大元は一体どこにから来たのか?考えてみることとする。

*日本史から見ると!
戦国時代の後、徳川の時代になって260年の太平の世となる。江戸初期には一部で反乱があったものの、平和な時代がおとずれた。それが明治期になると途端に変わりだす。新政府そのものも旧勢力を武力で抑えこんだ。つまり戊辰戦争である。徳川将軍は、大政奉還により権力を返しているのに、あえて戦ったのだ。

王政復古により、天皇は五百数十年ぶりに権力に帰りざいたとも言える。だが、その側近を見れば、下級武士や下級貴族の出だった。欧米視察により、彼らの経済力の大きさに驚かされる。日本もそれに追いつけ追いこせと、国力や武力を強めていくことに…。また思想の面では神道を中心とする皇国史会に覆い尽くされることとなった。

明治維新そのものは皇国思想によるものである。これを広めた人物こそ、水戸の御老公「徳川光圀」だった。水戸藩は、徳川御三家のひとつ。本来なら徳川の世を守ることをしなければいけない。光国は考えたのは、日本にある歴史上の美談をまとめることだった。その考えのもと、側近に命じ日本各地にある歴史上の話をまとめあげたのだ。史実かどうかは問わない。文献をまとめ、これにより仕上げていったのが『大日本史』だった。

*水戸藩主、徳川光圀(水戸黄門)
光圀の母は、藩主の徳川頼房の侍女だった。頼房が侍女の懐妊をしり堕させるよう家臣・三木仁兵衛に命じたと言う。しかし、その三木、藩主の言いつけを守らず、その子を生かし育てていったのだ。自分がそのような事で生き延びたことを知った光圀。生活が自堕落となる。いまでいうヤンキー(不良少年)だった。

そんな光圀だったが、側近の小野角右衛門からの諫書をもらう。この小野は博学で、中国の故事を用い、光圀を諫めたのだ。当初まったく無頓着だったが、史記のある話には興味をもつ。周の国の武王が、国王の紂王をおいだした時、武王の側近、伯夷と淑斉兄弟が、自分の身の危険を顧みず、諫めた話しである。

光圀は、この兄弟の話にふかく感銘する。同じような話が日本にもあるはずと考え、日本中の過去の話を掘り出したというわけだった。問題は武士が台頭する以前、日本は天皇が治めていたこと。その後、武士と天皇とで争いがあったことなどが明かされる。

*朱子学の影響とは
徳川光圀には、朱子学をとくに重んじていたと言う。『大日本史』を編纂したことで日本においては、天皇の下に武士がいるということがハッキリしたのだ。儒教の一派である朱子学においては、主従関係や上下関係を中心とするため、徳川家は天皇の家臣という関係になってしまったと言える。

光圀側近の発掘した楠木正成の話、光圀本人は興味を持った。出典は『太平記』だが、後醍醐天皇と足利尊氏が争ったとき、楠正成は最後まで天皇に従ったという話し。楠正成自身は、天皇に尊氏と和睦するよう進言する。しかし聞き入れてもらえない。そこで楠正成は、勝ち目のないことを知りつつ、やむなく出陣し、湊川の戦いで敗れ自害したという話だ。

「七生報国」や「尽忠報国」として知られた話である。いわば墓の中に眠っていた古い話を掘り起こした形だ。この話、戦前戦中も人々によって語り尽くされた。その結果、自分の死をかけても天皇のために尽くす!という思想が生まれてきたと言える。

*楠木正成の評価は?
正成が再評価されたのは、水戸光圀以降である。それ以前は、楠正成の墓そのものも荒れ果てていたという。それが一転、徳川光圀により改修され整備される。これ以後、太平洋戦争の末期まで、楠木正成の評価は高くなった。

戦後はまた急落した形だ。いまだ楠木正成の話を史実として取りあげる人は多い。だが、あまりにも出来すぎて話に見える。気をつけるべきは、多分にフィクションが混じっているということ。ここは頭に入れておくべきだろう。

戦時中のいわゆる「特攻」(=自爆攻撃)は、「湊川の戦い」が背景にあることを忘れてはならない。玉砕も然り。あえて言わせてもらえば、正成は最後まで天皇を説得し和睦すべきだったと言える。

*まとめ
敗戦後の日本、天皇の言葉により米占領軍を受け入れ、驚くほど素直にしたかった。このような国はなかなかないと言う。それほどまでに天皇は、我々日本人精神の中心だったということだ。日本人の良さはここにあったということだろう。

もう一つ言える事は、歴史の虚実を見抜く目を持つことが必要だということだ。横文字で言えば、歴史リテラシーという概念。本物と偽物を見分ける知識を持つこと。これはいつの時代でも必要なことと言えるだろう。

いいなと思ったら応援しよう!