[ 人物伝 ]『ファーブル昆虫記』を著したジャン・アンリ・ファーブルについて語る!
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世界で最もファーブルのことを評価するのは日本人だと言う。19世紀の初頭、フランスで生まれたこの博物学者、何故これほどまでに高いランク付けをするのだろうか。日本で著名な植物学者、牧野富太郎。地元高知では誰もが知っている大先生。だが、NHK朝ドラで取りあげられるまで、ほとんどの日本人は知らなかったはずだ。
*ファーブル、日本での人気!
日本人の好む学者は、お札の顔になった人たちと言える。明治から大正時代に活躍した野口英雄、そして同じ時期に伝染病と細菌学の研究により名をあげた北里柴三郎だ。日本でも博物学者であり民族学者として偉大な功績を残した南方熊楠(みなみかた くまくす)について、知っている人は少ないというのが現状である。
ファーブルは、ある意味において、日本の熊楠と同じ立場だった。その業績ほどにはフランス人は知らないのだ。なぜこんなことになったのか?私には思い当たる記憶がある。自分が通っていた小学校、その教室の奥には『ファーブル昆虫記』が何冊も置かれていたこと。私も手にとって読んだのだが、意外なほど身近にあった。
ほとんどの日本人、一度は必ず読んだと思われる。それほど日本の教育界において評価が高かったということのようだ。ファーブル、家庭が貧しかったが努力して学者となった。さらに小学校の先生までもしている。そのうえ文章が極めてわかりやすく、子供でも読めるように書いている。そんなところから日本の教育者、その多くが子供たちにこの本を読ませようとした。その結果としてファーブルの名前が広まったと思われる。
*E・T ・シートンとの比較!
以前、『シートンの動物記』については解説した。このシートンも、親が事業に失敗。貧しい生活のなかで博物学・動物学を身につけ、いくつもの論文を書いた人物といえる。ファーブルの両親、何度も事業に手を出すがその都度、廃業している。2人ともその学才により奨学金を獲得し学問を身につけていった。
ファーブルの凄さは、数学や物理の知識を持っていたうえに、自ら研究して論文を書きあげたこと。大学に行けば教授にもなれたようだ。だがその道を選ばず、自然科学である昆虫や植物の研究に没頭したということである。シートンは絵画の勉強を若くしておこなったため、早い時期に挿絵の仕事で金を稼ぐことができた。
ファーブルがようやく経済的な安定したのは50代半ばになってからだだと言う。自ら執筆した本が売れはじめ、一定額の収入が見込めるようになったのだ。それまでのファーブル、生活は常にギリギリだった。
*ファーブルの少年期から中年期
家が貧しく、3歳のときに祖父母に預けられている。ようやく7歳になって父母と弟の4人で暮らすようになった。だが14歳で父が事業にふたたび失敗。学校を中退することになってしまう。学力に秀でていたファーブル、その才能で師範学校に進み、教師となった。専門は物理学と化学である。
この知識、独学によるところが大きいようだ。21歳で学校の同僚教師2歳年上のマリーと結婚。さらにコルシカ島の大学に進み、徐々に昆虫学に傾倒していく。29歳から47歳までの8年間、フランスのアビニョンの町で、物理と化学の教師として働いた。
教師の仕事の傍ら、自然科学の研究もおこなっていた。自然物理学士号も取得している。これによりアビニョン市立自然博物館の館長にもなった。教師と研究者と同時におこなっていたというわけだ。このとき収入を求め、青少年のための本を執筆した。昆虫学や総合教育シリーズの著作である。
*ファーブル55歳以降!
この頃になってようやく収入が安定してきたと見られる。フランス南東部のセリニャンに95アールの土地を取得。使用人もいたというから、まずまずの収入があったのだろう。しかし、それから8年後に、妻マリーはこの世を去った。後妻にもらったのは、家政婦として働いていた23歳のジョセフィーヌ。なんとファーブルより40歳も年下だったと言う。
前妻マリーとの間に7人、後妻ジョセフィーンとの間に3人、つまり合計10人の子供をもうけたことになる。しかしそのうち6人はファーブルよりも先に病気で亡くなった。ファーブル自身が91歳まで長生きだったことにもよるようだが、後妻もファーブルより先に死んでいる。
*まとめ
ファーブルにとっては、研究こそ自分の証でもあったようだ。彼の名言のなかに『1分間さえ休む暇などないときほど、私にとって幸せな時はない。働くこと、これだけが私の「生きがい」である』と。もしファーブルから研究を取りあげたら、彼は生きていけないだろう。それほどに学問に打ち込んだということである。
そんな生き様に、日本人は感動を覚えるといえる。『昆虫記』は、ただ単に昆虫の生態を書いたものではなく、ファーブルという人物そのものを表していると言えるはずだ。そこに多くの日本人は「人の美徳」を見たのだろう!そう思えた。