[映画レビュー]西田敏行主演『椿山課長の七日間』の観どころ!
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日本を代表する名俳優「西田敏行」が、この(2024年) 10月17日に自宅で亡くなった。誰からも愛された人物で、多くの芸能人がその死を惜しんだという。死因は「虚血性心疾患」。血管内が詰まることで血流が阻害され、心臓が停止する病である。おもに血の塊(プラーク)によるものとされ、血液をサラサラにする薬が処方されていれば、まだ生きられたはずだ。
*「死」をテーマとした作品!
[この映画、現在YouTubeで観ることが可能?]
今回の『椿山課長の七日間』は、人の死を題材としたものである。西田敏行本人が亡くなったことで、この映画を取りあげようと思った。原作は、浅田次郎が朝日新聞に連載していたもの。2001年7月から翌2002年4月にかけ、およそ10ヵ月ほど掲載されていたが、同年9月には朝日新聞社より単行本として刊行された。映画の公開は、2006年11月から。キャッチフレーズは、「ひとめあなたに会いに行きたい」である。
この映画で、西田敏行や演じる椿山和昭(つばきやま かずあき)は、百貨店勤務中に、「虚血性心疾患」で突然死するという設定。18年も前の映画だが、今回の西田本人の死を暗示するようでもある。物語はファンタジー作品の部類に入り、この世でやり残したことのある人物だけが、数日間だけこのように別人の格好で戻ってくるというもの。もちろん、自分の知らないことを目にすることにもなり、かえって心を悩ますこともあり得るという。
*条件付きでこの世に戻る!
一度死んだ人間が、現世に戻ってくるにはいくつかのルールにのっとる必要がある。まずそれを本人が希望しなくてはいけない。だが審査があり、戻れるのはわずか数%。映画では「72人中3名」となっていた。戻れる期間も限られる。初七日までの期間だけだが、この説明があったときには、すでに3日が経過、残りは4日間(96時間)である。
戻ったとしても、全く別人になっている。また自分の正体を知られてはいけないとする。そして他人への復讐行為もしてはいけない。これを犯すと、とても怖いことになるそうだ。さらに12歳未満の子供は、大人が付き添わなくてはいけない。この映画でも戻れたのは、椿山課長(西田敏行)、ヤクザの武田(綿引勝彦)、小学生の雄一(伊藤大翔)の3人だけだった。
この他に、この世に戻り活動できるよう、特殊なバックが与えられる。「なんでも出てくるバック」、「残り時間を表示するデジタルウォッチ」、「あの世の案内人と交信する携帯電話」。バックは、希望のものが出てくるのではなく、あの世の案内人が決めたもののみ。困ったときには、携帯電話で案内人と話すことが可能である。
*逆送されて別人となった3名?
椿山は、30代のスレンダー美人、和山椿(伊藤美咲)となり戻ってきた。雄一も、同じ年齢の女の子、蓮子として、椿と行動を共にする。ヤクザの武田は、20代半ばの竹内宏美(成宮寛貴)だった。3人とも素性を隠し、自分の接触したい人物のもとへ急ぐ。
椿山が心配していたのは、妻と小学生の息子(陽介)のことだった。家を建てたばかりで、ローンがまだ21年も残っている。雄一はというと、本当の両親のことを知りたかったのだ。自分を育ててくれた親以外に、実の親がいることを知っていたが、どんな人物なのか、一目会いたかった。ヤクザの武田が気にしていたのは、自分の子分4名。この4人が間違いを犯さないか心配していたのだ。できればカタギになってもらいたかった。
*3名それぞれに驚くべき事実!
(ネタバレ)椿山が知ったのは、百貨店でもっとも信頼していた部下の嶋田(沢村一樹)が、自分の妻と親密な関係になっていたこと。さらに自分の息子と思っていた陽介が、嶋田と妻との間にできた子だったこと。これを知ることとなる。納得できない椿山だったが、妻が自分と結婚する前に、嶋田と付き合っていたことがわかり、徐々に気持ちがほぐれていく。
ヤクザの武田は、弟分の市川大介(國村隼)の家に泊まりこむ。自分の子分が、逆恨みをして大介を襲うことを安じたのだ。逆送されたすべての時間をつかい、大介の身に何か起きないかと心配する。逆送の最終日、子分の卓人が大介を殺しにやってきたが、武田は身を挺して大介を守った。
雄一の実の両親は、ヤクザの市川大介と、その妻の静子だった。静子は施設に子供を預けたことを後悔していたようだ。雄一は、武田とのつながりで大介と静子に会うことができた。3人とも望みが叶い、あの世へいく準備ができる。
*まとめ
椿山には、高齢となった親父(桂小金治)がいた。この親父と暮らすことをも考え、家を建てたのだ。だが、親父は自分がこの家にいることで、妻と息子の関係が悪くなることを感じていた。そこで、ボケたフリをし続ける。ただ孫の陽介にはそのことを教え、携帯で連絡をとっていた。
親思いの息子、そして息子思いの父親。この関係には涙がでる場面である。さらに陽介も、母と島田との関係を認めてあげるという流れ。正体を知られ帰ろうとする嶋田にたいし「お父さん」と呼ぶことで、すべてが丸く収まるのだ。ここも泣かせるシーンと言える。人の死は残されたものにとって、悲しいが、生きている以上は、それを乗り越えていかなくてはいけない。この映画はうまく描いていた。