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[映画レビュー]新藤兼人監督『一枚のハガキ』、どう読みとけばいいのか?

#映画レビュー #一枚のハガキ
#映画感想文 #新藤兼人

ネット配信でこの作品をみた。第一印象としては豪華出演人、さぞすごいものが見れるのだろう。そういった期待から選んだと言っていい。私のなかで評価の高い俳優たちが勢ぞろい。主演の大竹しのぶ、豊川悦司、六平直政、柄本明、大杉蓮といった名俳優たちが出ている。内容どうの?と言うより、彼らの演技がみれる!それがみた理由だった。

*監督の集大成!
この映画、随所によくわからない演出があった。こんなとき私は監督自身のことを調べるようにしている。不自然なつくりになっている理由はそこから分かるからだ。それともう一つ、これは監督自身の体験に基づいているという事実。この作品を解釈で切り離すことのできないモノである!そう思った。

新藤監督の初作品は、1951年に撮った『愛妻物語』である。自身の映画人下積み時代の話をまとめた作品、主演は乙羽信子と宇野重吉。聞くところによると、音羽自らがこの作品に使ってもらうよう監督に申し出たという。

初期の作品では、社会派であり、反戦的な作品を撮った。「原爆の子』  『長崎の鐘』  『第五福竜丸』。国としては、米国からのニラミもあり、苦々しく思ったはず。だが独立プロとして近代映画社を設立した新藤。自分の思いのままに作品を仕上げた。

監督98歳、最後の作品『一枚のハガキ』。これも新藤自身の体験に基づいている。実際にあったとされるクジ引きによる戦地派遣。そのとき集められた30代の人生は、このクジ引きによって決められたと言っていい。「生か?死か?」あまりに過酷ではあったが、生き残ったものがただ運が良かったとは言えない現実があったということを表現している。

*マルチな才能、新藤兼人!
山中貞夫監督の『盤獄の一生』を観て、映画人になることを決心したと言う。注目すべきは、脚本を自分自身で書くこと。映画の柱となるシナリオ、それを他人に任したのでは本物の映画人とは言えない。また当時、映画監督のほとんどがそのような話をしていることに新藤は動かされた。

そこから脚本の執筆が始まったと言う。憧れていた溝口健二監督の内弟子(建築担当)となる。自身の書き上げたシナリオを溝口監督に見せると酷評される。「これは単なるストーリー、脚本ではない」と…。落ち込んだが再起をかけ、シナリオつくりに励んでいった。

するとすぐに芽が出た。情報局の国民映画脚本に応募。1年目で佳作となり、2年目(1943年)では当選となった。この後、新藤のところに赤紙が来て召集されることとなる。天理教施設の掃除に集められた100人のうちの一人だった。この話が『一枚のハガキ』の下敷きとなっている。

*映画事業、失敗寸前から!
1960年になると、新藤自身が設立した近代映画協会の経営が立ち行かなくなる。興行的に、つくった作品がおもわしくなかったからだ。そこで解散を前提に一本の映画を「1ヵ月500万円以内」という低予算で撮った。映画詩『裸の島』、俳優にはセリフがなく、その映像だけで、山奥の百姓の苦しい生活を撮ったものだ。

これが海外で高く評価された。日本では散々だったが、モスクワ国際映画祭でグランプリをとり、いくつもの国の映画祭で賞をとっている。60カ国以上で上映され、会社は経営の危機を逃れた。

それからは新藤、様々なことに挑戦していくこととなる。社会性の強い作品、性のタブーにも挑んだ。またコメディーやミステリーにも道を開いたことは驚きと言っていい。芸術家と技術者のマルチな才能を見せ、経営者・プロデューサーとしても、著述家としても、日本映画に貢献していった。

*『1枚のハガキ』で訴えたかったこと?
自身の体験をとおし戦争の理不尽さをあらわしたこの作品。戦争にはゆかずに、生き残った男たちも、苦しい目に遭ってたということ、これを表現している。ハタから見れば滑稽にもみえる!だが、これこそが戦争のもつ悲惨さでもある。

夫をなくした妻の友子。義父の願いで弟と再婚する。布団を共にする夫婦だが、夫となった義弟は友子のうえに乗り激しく愛を求める。この描写も兄の無念さを見事とあらわしていると思った。友子に心を寄せる「村のまとめ役(大杉蓮)」。この大杉と、夫の戦友だった豊川悦司との大乱闘。ドタバタ的な要素も盛りこんだ。

*まとめ
この『一枚のハガキ』、やはり新藤監督の人生をまとめた作品といって間違いないと言える。貧しい農村の生活をよくあらわしているし、当時の軍国第一主義の社会もよく描いていて、知らない世代にとっては、目からウロコともなるだろう。見た人のなかには、こんなこと本当にあったのか?と思うかもしれない。しかし、事実として本当にあった話だ。私の知り合いには全く同じような境遇にあった女性がいた。長男と結婚したが徴兵でとられ戦死、さらにその弟とも結婚するが、またも徴兵にとられ「帰らぬ人」となった。ただこの女性、それぞれに子供を1人ずつ設け、戦後みごとに育てあげている。我々はこの事実に目を背けてはいけないということだ。

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