呪術都市江戸⑨
前回は東照三所権現と北辰北斗、薬師如来の関係について書いた。
北辰信仰といえば妙見菩薩(尊星王)だ。実は日光は妙見信仰も無視できない。空海が日光の滝尾で修行中に出現した不思議な球が妙見菩薩だったというのだ。
妙見菩薩は北極星を象徴しているが、日本では北極星(北辰)と北斗七星は混同され、あるいは一体として信仰されている。三井寺(園城寺)の尊星王は青龍に乗った姿をしているが、この青龍は北斗七星だという。
妙見信仰は平将門伝説にも関係がある。将門は妙見菩薩の加護を得て乱を起こしたという。(のちに将門は自ら新皇を名乗ったため、妙見菩薩から見放され、討ち取られてしまう)
将門は江戸(坂東)の守護神になったことはご存じの通り。
今回は作家加門七海氏と漫画家星野之宣氏が発見した、天海僧正が施した(とみられる)北辰北斗信仰と将門にまつわる壮大な呪術をご紹介しよう。
将門をめぐる地上の星とは?
平将門の活躍した主要な場所は下総国、常陸国であり、本来東京とは無縁である。にもかかわらず、東京にはいくつもの将門にかかわる神社がある。その代表は云うまでもなく大手町の首塚だ。おそらくこの首塚があるおかげで他の将門関連の伝説も造られていったのだろう。
加門氏は『平将門魔法陣』の中で、これら東京に散らばる将門伝承のある神社や寺に一つ一つ足を運び、将門の御霊信仰と妙見信仰とのかかわりを探っていく。
将門以降、妙見菩薩・・・というより北辰北斗の信仰は、なぜか権力者(特に武士)に好まれる。同じく武士の信仰を集めた八幡神や、江戸庶民に人気の庚申信仰も、北極星や北斗七星と関係があるらしい。なぜ、こんなに武士に人気があるのかというと、北斗七星の破軍星の「破軍」が気に入られた。また、妙見は毘沙門天とも習合している。毘沙門天も武神であるところから、武士に人気がある神様だ。
一方将門もやはり坂東の武士には人気だ。だからこそ縁の薄い江戸にいくつもの将門を祀った神社があるのだろう。神田明神は江戸の庶民の産土神でもある。そんな将門の御霊を、江戸幕府も守護神として手厚く祀った。
加門氏は江戸(都内)にある将門と将門を調伏した神社をリストアップした。
【将門サイド】
神田明神(千代田区外神田)
首塚(千代田区大手町)
鎧神社(新宿区北新宿)
兜神社(中央区日本橋)
鳥越神社(台東区鳥越)
稲荷鬼王神社(新宿区歌舞伎町)
筑土八幡神社(新宿区筑土八幡)
神田山日輪寺(台東区西浅草)
筑土神社(千代田区九段北)
【アンチ将門】
水稲荷神社(新宿区西早稲田)
烏森神社(港区新橋)
そして将門サイドの寺社の内、日輪寺は将門を供養した真教上人が滞在した寺だが、当初の場所から移転しているので外し、筑土神社も筑土八幡から戦後に遷座されたものなので外す。七社になる。この七という数字が引っ掛かり、加門氏は地図上でそれらの場所をつなげてみると・・・
北斗七星の形だ。これら七社の成立年代を調べてみると、江戸以降、移動していないことが分かった。そして神田明神と首塚の分離がこの陣を最終的に成立させているということは、これは幕府が作ったことになる。その年は元和二年[1616]。徳川家康が死んだ年である。この年は将門を祀った津久戸明神を筑土八幡に合祀した年でもある。
加門氏はこれを家康の死によって遂行された呪術プロジェクトであり、これを企てたのは天海僧正だろうと推測する。
加門氏は北斗七星の柄の部分の反り方が逆になっていることが気になり、あえて将門調伏サイドの水稲荷を七星にいれ、外された鬼王神社は補星(アルコル)とした。
鬼王の名の由来は将門の幼名が「外都鬼王(すごい名前だな。げづは牛頭からきているのだろうか。)」といったという伝説からきている。将門を祀っていたというが、現在祭神にその名はない。鬼王権現という熊野の神と稲荷神社を合祀したというのが、神社の公式見解。
他の神社が将門の体の部分(兜、鎧も首と胴のことと解釈)を祀っているのに対し、鬼王神社は唯一幼い将門の霊を祀る。
補正という小さな星はこの幼い将門の霊とみなす。
北斗七星の補星は摩多羅神のことだともいう。そして摩多羅神は妙見菩薩の化身なのだ。
鬼王神社の役割は体を表す鎧神社と、首にまつわる伝説のある五つの神社を、将門調伏サイドの水稲荷の所で斬っているという。つまり封じているのだ。封じながら、江戸の守護神として祀り、その霊力を借りようというのが天海のねらいなのだ。
なぜ北斗七星の形に社を配するのか。
『北斗七星護摩秘要儀軌』によると、北斗七星を用いた悪霊退散の修法がある。また、北斗七星を中心に描いた曼荼羅を用いて行う鎮魂の法もあるらしい。
非業の死を遂げた「七ツ塚」「七人塚」などと呼ばれるものが全国にある。七つの塚(墓)を作り、聖なる七の数字をもって浄化したのだという。
将門には七人の影武者がいて、茨城県守谷市の海禅寺に影武者たちを葬ったという「七騎塚」があるが、これも同じく非業の死を遂げた将門の鎮魂の為に建てられたのかもしれない。
ところで私は北斗の柄の部分の第六星はやはり鬼王神社でよいのではないかと思っている。(図1)
北斗七星型に神社や塚を配しているところは、他にもいくつかあるが、必ずしも現実の北斗七星のようには並んでいないし、天台密教の星曼荼羅など全然柄杓の形をしていない。
それに補星は柄杓の柄の上(地図でいうと北側)にあるので、鬼王神社は補星と反対の位置になってしまう。やはり、将門を祀った七社で北斗七星を形作るのがすっきりすると思うが、どうだろう。
長くなりそうなので今回はここまで。星野之宣氏の説は次回ご紹介。