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古代チベットが黄河文明を開いた?(1)
前シリーズ「シャンバラはどこにある?」の続きです。
タイトル画像は弥生、古墳時代のヒット商品「三角縁神獣鏡」。その、背面の模様の中に西王母の像がある。中国の神仙世界はこの時代すでに日本に伝わっていたのだ。
『穆天子伝』に、西周第五代穆王(紀元前7世紀ごろ在位)が、黄河の上流の、崑崙の瑶池で、西王母と供宴したとある。西王母は天帝と自称し、穆王を天子に任命したという。
『竹書紀年』では、穆王が西征して崑崙の丘に至り、西王母と会見した。その年、西王母が来朝し、昭宮の賓客となったという記録がある。
西周の王よりも西王母のほうが格上ということらしい。
中国大陸の西に、中原の夏、殷(商)、周よりも古い文明圏があった。その文明は甘粛、青海産出の玉(珠)を経済基盤とし、彩陶土器を作っていた。秦代に中原の天子の称号となる「帝」は、もともと西王母の首長の称号だった。
以上は文明史家、歴史研究家の原田実の説だ。(「歴史と旅・超古代王朝興亡の秘史~超古代史の時空への挑戦」秋田書店)
タイトルがちょっとトンデモくさいが、瑶池の瑶は珠のことだし、西王母のいるところは崑崙山、またの名は玉山という。玉を経済基盤としたという説と関係がありそう。
彩陶(彩文)土器が作られた時期は、約7000~3500年前。ごく限られた地域でしか見つかっていないという。例えば、インダス流域、エジプト、西アジア、黒海沿岸、新疆の砂漠、モンゴル、黄河流域(竜山文化など)、長江流域(仰韶文化など)、メコン川流域(バンチェン)だ。
各地域は相互にあまり関連性がない。各地で独自に発達したのか?
しかし、これらの中心にチベットがある……。
西王母は『山海経』に数か所出てくる。
「さらに西へ三百五十里、玉山といい、ここは西王母の住むところ。西王母はその状、人のようで豹の尾、虎の歯でよく嘯き、おどろの髪に玉の勝をのせ、天の厲と五残を司る。」第二 西山経
「西王母が几にもたれて勝と杖をのせている。その南に三羽の青い鳥がいて、西王母のために食物をはこぶ。崑崙の虚の北にあり。」第十二 海内北経
「西海の南、流沙のほとり、赤水の後、黒水の前に大きな山あり、名は崑崙の丘。神あり、人面で虎身、文あり、尾あり、みな白し、ここに住む。丘のふもとに弱水の淵があり、これを環る。丘のかなたには炎火の山あり、物を投げればもえ上がる。人あり、勝を頭にのせ、虎の歯、豹の尾をもち、穴に住む、名は西王母。この山にはなんでもある。」第十六 大荒西経
穆王と瑶池の畔で会食した西王母は普通の人間のような印象だが、『山海経』の西王母はまるで怪物。豹の尾に虎の歯。なぜかかんざしを付けた髪が強調されているような。よほど印象的な髪形(髪飾り)だったのか。
こちらの怪物的西王母のほうが古い姿。ただ、『山海経』に出てくるのはこんなのばかりなので、これはその地方の神の姿か、習俗を象徴した表現とみるべきだろう。
崑崙山(玉山)とはチベットの聖山カイラス(カンクリンポチェ)のことだという。また瑶池はマナサロワール湖のことだとされる。マナサロワール湖は世界一標高の高い淡水湖。ここはラマ教(チベット仏教)、ボン教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の聖地だ。
殷墟から発掘された甲骨文字(羊の下に山、とりあえず「ガク」と読む)について、「ガク」は最高の聖山で、神仙の住む山の意味がある。
中国学者で甲骨文字研究家の赤塚忠は、「ガク」は羌人の祭祀する山とし、崑崙のことではないかという。やがて、その信仰が中国人(漢人)にも信仰されるようになったと解説する。(『中国古代の宗教と文化』)
羌人はチベット人のことである。
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甲骨文字の「ガク」はもっと絵文字的
注目してほしいのは、西王母がいる玉山または炎火の山のほかに、崑崙の虚または崑崙の丘と呼ばれる場所があるということ。
「虚」は虚ろとか虚しいということだから、空洞があるということか。でも、私の持っている平凡社の『抱朴子・列仙伝・神仙伝・山海経』(高馬三良訳)では、「虚」は「おか」というフリガナがついている。
一方、崑崙の丘と、「丘」の字を使っている個所もある。丘と虚は少しニュアンスが違う気がする。
「海内の崑崙の虚は西北にあり、帝の下界の都。崑崙の虚は方八百里、高さ一万仞。上に木禾(穀物の一種)あり、長さ五尋、大きさ五つ囲、上に九つの井戸があり、玉で檻(らんかん)をつくる。上に九つの門があり、門には開明獣がいて、これを守る。ここはやおよろずの神たちのすむところ。八隅にある巌は赤水のみぎわに(そびえ)、人徳ある羿の如き人でなければ岡の巌を登ることができない」『山海経』第十一 海内西経
崑崙の虚は天帝の地上の都なのだという。門を守る開明獣とはスフィンクスや狛犬みたいなものだろうか。崑崙の虚は門やらんかんや井戸があり、何やら宮殿のようだ。
丘といった場合は自然の地形のようだけど、虚のほうは人の手が入っている感じがしないか。
羿は英雄的な弓の名人で、西王母から不死の薬をもらったという。
『淮南子』地形訓
「禹すなわち土を以て洪水を塡め、以て名山を為る。
崑崙の虚を掘りて以て地に下す。(崑崙の)中に増(層)城九重あり。其の高さ万一千里一十四歩二尺六寸なり。上に大禾あり。其の修さ五尋なり。(中略)傍りに四百四十門あり、門の間は四里なり。門(の高さ)は九純、純は丈五尺なり。傍りに九井あり。」
禹は崑崙の虚を掘って、その中に九層の城を作ったという。やはり、虚とは丘を掘った洞窟ということだった。しかも九層の城とは、『隋書』の女国の記述にある、山上にある九層の楼閣とも合致するではないか!
女国とは西チベットにあったシャンシュン王国のことだ。その城をキュンルン・ンゥルカという。キュンルンは崑崙と音も近い。
そしてシャンシュンは女王国なのだ。西王母の国とイメージはぴったり合う。シーワンム(西王母)とシャンシュンて、音も似ていないか?
中国の神仙西王母がチベット起源とはおもしろいではないか。…いや、まだまだこんなものではない秘密がありそうだ。