四谷怪談の現場を歩く(1)
於岩稲荷-事件発生現場
田宮岩さんのこと
お岩さんといえば、日本で一番有名な幽霊ではないだろうか。白い死に装束で振り乱した髪に片目が醜く腫れた顔。手の先を下に曲げた格好で「恨めしや~」と暗闇から出てくる。古典的なお化け屋敷では、井戸から出て皿を数えるお菊さんと並び、人気のキャラクターである。
この人気キャラクターを世に有名にしたのは、歌舞伎作者の四世鶴屋南北。タイトルは『東海道四谷怪談』。初演は文政八年[1825]江戸の中村座である。
お岩さんは実在の人物である。夫の田宮伊右衛門も実在した。では、四谷怪談は実話なのか?
『於岩稲荷来由書上』という文書がある。
四谷左門町の御先手同心、田宮又左衛門の一人娘が岩がだった。岩は疱瘡に罹り、顔に醜いあばたがあった。又左衛門は娘を残して死んだ。その岩の婿になったのが伊右衛門という浪人だった。
その後のことは長くなるから割愛する。とにかく、岩は伊右衛門に騙されて、家を追い出されてしまう。後で騙されたと知った岩は狂乱して行方不明。田宮家を次々と不幸が襲い、とうとう家は断絶してしまう。
この文書は芝居より後に世に出ているので、南北がこの内容を知っていて芝居に取り入れたのかは不明。これが実話なのかも不明。ただ、田宮家が一度衰退し、その後養子をとるかして現在も続いているということである。
さて、これから、東海道四谷怪談の現場巡りをしてみたいと思う。場所の確認から。
田宮家のあった左門町は東京メトロ丸の内線の四谷三丁目駅とJR総武線信濃町駅を結ぶ外苑東通り(319号線)の東にある。二つの駅のちょうど中間あたりだ。江戸切絵図と現在の地図を比較してみると、於岩稲荷の社地は現在よりも広かったようだ。
まずは陽運寺から。陽運寺は比較的新しい寺のようだ。(明治時代。戦争で焼失後、再建)
寺なのに、お稲荷さんの方が人気。実はお岩さんはお稲荷さんを篤く信仰していたという。
そして、この陽運寺のはす向かいにも於岩稲荷田宮神社がある。
こちら、宮司は田宮さんで、ご子孫だという。上の写真の説明によると、「お岩夫婦も怪談とは大きく異なり円満でした」とある。
実は実在のお岩さんは貞女だったそうだ。田宮神社でいただいた於岩稲荷の由来によると、
この話が評判となり、「於岩稲荷」は参拝客でにぎわうことになる。
鶴屋南北もこの話は知っていたはずだ。それでは、貞女のお岩さんがなぜ怨霊になってしまったのだろう。
貞女のお岩さんは寛永時代の人である。寛永十三年[1636]お岩さん死亡。その二年後に伊右衛門さん死亡。これは田宮家の菩提寺の過去帳に記載されている。
先の『来由書上』によると、貞享年中[1684~88]お岩、伊右衛門結婚。
また過去帳によると、元禄十五年[1702]田宮家妻(五代目)死亡。そして正徳五年[1715]田宮伊左衛門(五代目)死亡により、田宮家断絶。
その後、田宮家跡に山浦甚平という人が住んだそうだが、女の幽霊が出るなど怪異が続いたので、田宮家の菩提所妙行寺から屋敷稲荷を勧請してもらったと『来由書上』は記す。この山浦甚平は実在の人物である。
つまり、怨霊譚のお岩さんのモデルは五代目の名前のわからない田宮家の婦人なのではないか。南北はキャラクター名に寛永の頃の岩という人の名だけを借りたのではないか。と、これは漫画家の永久保貴一氏が『検証・四谷怪談 綴られたお岩様の祟り』で書かれた説。
岩といえば『古事記』に出てくる石長姫という女神だ。岩のように長命だが、醜女だという。天孫瓊瓊杵尊は石長姫との結婚を拒み、美人の妹の木花咲耶姫の方だけを娶ったため、子孫の天皇家は花のように栄える一方、短命になったのだという。
石長姫の「いわ=岩」というイメージが、南北に主役の名前はこれで行こうと決めさせたのだろうか。
ここから余談。実は於岩稲荷のすぐ近所に我が家の墓があるので、ここはよく立ち寄る場所。今回も墓参りのついでに参拝。平日の真昼間だというのに、意外とお参りの人が多かった。そしてなぜか女性ばかり。女性の方が怖い話が好きだから?
悪縁を断ちたい人、良縁を得たい人。ご利益があるかもしれないよ。
ということで、田宮神社の前の電柱の結婚相談所の広告。抜け目ないというかなんというか・・・。