呪術都市江戸②
前回は江戸が四神相応の地ではないと結論した。それでは風水的にはどうなのだろうか。
江戸の風水は理想的?
四神相応ではないのなら、都市を造るのに江戸は呪術的に理想的な土地とは言えないのだろうか。
江戸は武蔵野台地から分かれて伸びる山の手台地がある。上野台地、本郷台地、大塚大地、市ヶ谷台地、麹町台地、麻布台地、白金台地だ。この七つの台地の端を集めた先にある島のような台地(丘)がある。ここが江戸城のある本丸台地だ。
陰陽道では「交差明堂形」といって、その中心━━すなわち本丸台地は気がとても高く、文明が栄えやすいのだそうだ。風水的には「仙掌格」という。仙人の手のひらに似ているからで、大吉の相なのだ。
中国では仙人の手のひらに当たる場所が「穴」になる。荒俣宏著の『風水先生』によると、「穴」とは風水で陰陽両気の塊が集合し、生気の満ち溢れる特異点のことだという。鍼灸でいえばツボにあたる。
そしてこの「穴」に玉を埋めることで、その場所を長く繁栄させることができるのだ。
伝承によると、南光坊天海僧正は江戸城の坤(裏鬼門)に、直径四寸九分八厘の黄金の玉を埋めたそうだ。今でも皇居のどこかに埋まっているかもしれない。
城をどこに作るか議論になった時、この本丸台地を進言したのは天海僧正だったという。天海は天台宗の僧侶で、徳川の呪術ブレーンで、黒衣の宰相と呼ばれていた。
風水について簡単に説明しよう。中でも王城や都、墓を作るのに適した場所を見る風水を「地理風水」というのだそうだ。地理風水的に理想的な土地モデルがこれである。
一見、四神相応に似ていないだろうか。背後に山があり、左右に青龍と白虎があり、前に水がある。しかし陰陽道の四神と違い、地理風水の場合は必ずしも青龍が東で白虎が西というわけではないようだ。祖山から見て左が青龍砂で右が白虎砂という意味である。左砂、右砂ともいう。「砂」は気の流れを護る壁である。沖縄では「抱護」というのだそうだ。
気は祖山から発し、山に沿って流れる。この気の通り道を龍脈という。この龍脈を見つけることが風水師の大事な仕事だ。龍脈に沿って運ばれた気は穴に集まる。
穴の正面は平たんに開けているのが良いと言われている。その場所を「明堂」という。古代中国で、明堂は天子が家来から拝賀を受ける前庭だった。
さらにその前には川や池などの「水」があるのが良いとされる。水は気を受け止め鎮めたり、蓄えたりしてくれる。
「案山」は穴の前方を護る山で、砂と同じ働きをする。しかし大きすぎると気の流れを邪魔してしまうので、小さい方がよい。山が無ければ松を植えてそれに換えることもあるという。
以上は理想的な風水のモデルなので、必ずしもすべてがそろっていなければだめということではないということだ。
それでは江戸の地理風水はどうなのだろうか。風水師の御堂龍児氏によると、江戸は「誰だってうまくいく」という。「江戸は風水的にすごいパワーのあるところ」で、「基本的に誰が町づくりしてもうまくいく土地」なのだそうだ。
そして房総半島は太祖山富士から見て左から伸びる青龍砂、青龍案山で「龍」の気を受け止めている。「水」はもちろん東京湾(江戸湾)である。
「龍」の入って来る場所には必ず「砂」があり、「水」があるという。「龍」は人を集める働きがあり、「水」は気の財、経済に作用を及ぼす。房総半島の青龍砂は財が逃げていくのを食い止めている。地理風水では、だから「砂」がとても重要なのだそうだ。
地図で龍脈をたどってみても、素人の私には「ふぅん…そうなんだぁ」とピンとこないのだが、家康がこのことを知っていたのか。天海僧正の風水の知識はどれ程のものであったのか。