【ぶら近所】江戸むき地蔵と三山百番供養塔
青梅街道と善福寺公園に向かう道が分岐する場所に、江戸むき地蔵という石地蔵がある。隣には石碑があり、これは三山百番供養塔という。両脇には比較的新しい小さな地蔵が二体ある。(東京都杉並区善福寺4丁目1-1)
昔は地蔵の後ろに割と目立つブリキの看板があったと記憶する。確か江戸むき地蔵ではなく、開運地蔵尊と書かれていた。(コインランドリーは以前は看板屋だったので、看板はそこが作ったのかもしれない)都心方面からバスに乗っていると目に入ってくるので、以前から気になってはいたのだが、今回初めて間近で見た。
背後の柵と江戸むき地蔵と書かれた看板は最近のものだろうか。看板の位置が低くて地蔵の後ろに字が隠れてしまって見づらい。どうしてこういう位置に取りつけたのだろう。
地蔵の台座に享保十四年己酉歳と刻まれている。1827年の造立。真ん中に地蔵尊の文字。左に●月吉日、一字摩耗したのか読めない。
そばにある説明文によると、昔から江戸むき地蔵と呼ばれていた。確かに地蔵の向いている方向が都心だ。
そして、かつてはここで地域の人々が集まって、死者を弔う念仏講が催されていたらしい。
分かれ道は辻と呼ばれ、こうした場所には地蔵や道祖神、庚申塚、馬頭観音などが祀られることがよくある。内と外の分かれ道は、この世とあの世の分かれ道にもたとえられるのかもしれない。村で出た死者や先祖の霊をこうした辻で念仏を上げ、供養したのだ。
江戸むき地蔵の左隣にある三山百番供養塔も民間信仰の石造物だ。
三山とは月山、湯殿山、羽黒山の出羽三山のこと。そして百番とは西国三十三番、秩父三十四番、坂東三十三番を合わせて百番としたもので、これらの札所をすべて巡礼した記念に立てられたのではないかという。(全部⁉すごっ!)
また、上のほうにある三文字の梵字は観世音を表していて、ここにお参りに来る地域の人々にも、功徳のおすそ分けを施すという目的もあったのではないかと考えられているそうだ。
それにしても、花やきれいな水がたくさん供えられている。今でも信仰を集め、大切にされているのだなと少しほっこりした。