ドラキュラとゼノフォービア━5
啓蒙主義と自由主義の観点から、イギリスはユダヤ人問題を「排斥」ではなく「同化」で解決しようとしていた。また、できると考えていた。
しかし、大量の移民が流入したことによってさまざまな問題が大きくなるにつれて、ユダヤ人に対する見方が変化してきた。そしてユダヤ人に対して恐怖心さえ抱くようになったという。
「同化」に対する考え方に変化が起きたのだ。
丹治愛氏の著作『ドラキュラの世紀末~ヴィクトリア朝外国恐怖症の文化研究』から、その辺りの事情を見てみよう。
混血恐怖
1882年のロシアによる迫害と殺戮が大量のユダヤ移民が西側諸国へ流入するきっかけになったわけだが、もちろんユダヤ人の迫害はもっと以前からあった。
それはキリストが十字架にかけられたのは、ユダヤ人がローマの総督にキリストの処刑を迫ったせいだからだ。
キリスト教がヨーロッパじゅうに行き渡って以降、ユダヤ教徒は幾度も迫害され、疫病や災害など災いが起こるたびにユダヤ人のせいにされたこともあった。
身を護るために中にはキリスト教に改宗する者もいた。
イギリスでは啓蒙主義的な考えによる「ユダヤ人解放」とは、イギリス社会に溶け込みなじむという意味でとらえられていた。しかし人種論的反ユダヤ主義の考えでは、「人種間結婚」を行うこと、つまり「血の同化」こそユダヤ人問題を解決できると考えられていた。
ユダヤ人女性がキリスト教徒の男性と結婚すれば、子供はキリスト教徒になるだろう。やがてユダヤ教徒の数も減り、彼らの子孫はイギリス社会に同化してゆくだろうというわけだ。
しかし、実際は同じ宗教やアイデンティティを持ったもの同士が結婚に至りやすい。これが自然な成り行き。
大量に膨れ上がった東欧からの移民たちは、言葉も不自由だし生活習慣も違う。そして、自分たちの宗教を棄てることは非常に難しい。(逆の場合を考えてみてほしい。キリスト教徒がユダヤ教に改宗する?)
「苦汗労働制度委員会」の委員長のダンレイヴン卿は、ユダヤ人労働者がイギリス人労働者に堕落か絶滅をもたらすだろうと警告した。
イギリス人労働者のような技能や職も知らないのに、はるかに低い生活水準(道端の屑肉を食い、下品で不潔な過密状態)でも生存できる彼らに対して、イギリス人労働者が対抗するためには、同じ賃金、同じ食物、同じ劣悪な環境、同じ生活に降りて行かなければない。そうでなければ絶滅するしかないという。
生存闘争において、高等な生物は下等な生物に屈しなければならないのだから。
高等な生物はイギリス人(キリスト教徒のアングロサクソン人)で、ユダヤ人は下等な生物という定義だ。これはダーウィニズム的イデオロギーの影響をうけて19世紀後半に生じた反ユダヤ主義がイギリスにもあったということだ。
このような反ユダヤ主義者にとって、ユダヤ人とは宗教ではなくて、血と人種の問題なのであり、改宗したところで相変わらずユダヤ人のままなのだ。
ブラム・ストーカーの友人で反ユダヤ主義者のリチャート・バートンがディズレーリ(1804~81,子供の頃にユダヤ教からイギリス国教会に改宗。保守党の政治家でイギリスの首相を務めた)の伝記の中でこう述べている。「洗礼の水ですら血を流し去ることはできない」
19世紀末のイギリスでは人種間結婚を進めて非ユダヤ化をすればユダヤ人問題は解消するという考えだった。一方、大陸側ではユダヤ人との混血を「血の汚れ」として嫌悪すると考え、さらには同化そのものを拒絶する方向へ進み始める。
1894年にフランスで起きたドレフュス事件(フランス軍のユダヤ人ドレフュス大尉がスパイの嫌疑をかけられた冤罪事件)を経て、ジャーナリストのテオドール・ヘルツル(同化ユダヤ人)は同化ではユダヤ人問題は解決できないと考えた。
そこで彼はユダヤ民族としてのアイデンティティを持ちながらパレスティナかアルゼンチンにユダヤ国家を建設するという解決法を提示。「シオニズム」を提唱する。
そして1897年に第1回シオニズム会議がスイスのバーゼルで開催された。
そんななか、『ドラキュラ』が公刊された1897年か翌年、匿名の反ユダヤ主義者(ロシア人ではないかとの説)によって『シオン賢者のプロトコル』という偽書が発行される。シオン賢者という秘密の組織が企む世界征服と陰謀を暴露するというのが内容。
悪意に満ちたでっち上げだが、この内容を信じてしまった人間もいたようだ。例えばアドルフ・ヒトラーである。
ヒトラーの『我が闘争』(1925)によれば、「程度の違う二つの生物を交配すれば、結果は両親の中程度となって現れる」つまりそれは生物の弱体化、劣等化、退化にほかならない。だから高等人種であるアーリア人と劣等人種のユダヤ人の結婚など許せないのだ。
ヒトラーは、ユダヤ人は男系では基本的に純粋な血統を保ちながら、女子をキリスト教徒に嫁がせてその血を腐敗させ、自分たちの人種的敵を計画的に「武装解除」させるのだという。ヒトラーの思想は最終的にユダヤ人虐殺というホロコーストへと発展する。
イギリスではこれほど極端ではないが、人種間結婚による同化に嫌悪感を抱く者の声は確かに増えていった。ユダヤ人を劣等人種とみなし、その「汚れた血」と混血することに恐怖した。
以上のような優生学的な偏見からくる不安と恐怖が『ドラキュラ』の中にもあると丹治愛氏は書く。ユダヤ人を想像させる東欧から侵入した外国人であるドラキュラが、ミナ・ハーカーの血を吸い、そのあと無理やりドラキュラの血を飲ませる場面がヒトラー的な恐怖を反映していると思われるという。
フロイト風に解釈すれば、無意識化の心の中では血は精液と等価物であるという。『ドラキュラ』の場合、個体から個体への血の移動は常に性的な体験であり、性的結合そのものを意味すると丹治氏は云う。
ドラキュラの最初の犠牲者のルーシーが、半ば夢心地の状態で血を吸われるのも性体験を暗示していると。
ルーシーは血を吸われるごとに、ホルムウッド、シュワード、ヴァン・ヘルシング、モリスから輸血を受ける。ルーシーの婚約者のホルムウッドは「自分の血がルーシーの血管に輸血されて以来、二人が本当に結婚したかのように感じた」と述懐する。
ヴァン・ヘルシングも四人の男性から輸血を受けたルーシーを半ば冗談で「多重婚者」と表現する。
とすれば、ミナの場合は強姦のイメージであろう。「私は汚れている!」とうめくミナの叫びは、性的に犯された女の悲痛な心が感じ取れる。
「しかし」と丹治氏は続ける。単に性的暴力を受けたような恐怖だけではないというのだ。
ヴァン・ヘルシングはドラキュラを「死へと通じて行かざるをえない、存在の新しい種族の父祖あるいは助長者」となるのではないかと危惧する。吸血鬼の毒牙にかかった者は吸血鬼になる。これは民族の「退化」であり、その元凶が(ユダヤ人を思わせる吸血鬼の)ドラキュラであるならば、それは虐殺されねばならない。
それは、ロシアにおけるポグロムであり、20世紀のナチによるホロコーストである。
(最も文明化した)イギリスでは人種間結婚による同化こそ、最善のユダヤ人対策としていたが、それでは人種間結婚と虐殺のどちらがすぐれているというのか。結局、人種抹消を意図しているという点では五十歩百歩ではないか。
結局、世紀末のイギリスはその深層で「血の汚れ」を嫌悪し、もっと激越な「虐殺による人種抹消」を夢見ていたのではないか、と丹治氏は書く。その「政治的無意識」の夢がドラキュラの虐殺をハッピーエンディングとしてもつ物語にしたのだ。
最後にブラム・ストーカーについて一つ擁護しておくと、彼は決して反ユダヤ主義者ではない。1905年ストーカーはロシアのユダヤ人虐殺に対する抗議に加わっている。
『ドラキュラ』は彼自身のユダヤ人に対する意識ではなく、19世紀末イギリスの「政治的無意識」を背景とした物語ということが問題なのだ。