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四谷怪談の現場を歩く(13)

三角屋敷の奇妙

仮面夫婦の家

 お袖と直助(権兵衛と名を変えている)の家は、法乗院の門前にある。土地が三角形なので、通称三角屋敷と呼ばれているのである。

 法乗院は門前仲町駅の北に出て、首都高速の下をくぐり、深川一丁目の交差点を渡ったところにある。法乗院の並びにも寺が連なっている。切絵図を見ると八件あるが、現在は六件が残っている。
 法乗院は深川閻魔と呼ばれて江戸の昔から有名だったようだ。お袖は以前、浅草藪ノ内の宅悦が営む地獄宿で遊女をしていた。地獄宿の看板は閻魔大王がお灸をすえているというものだった。そして、今は深川閻魔の門前に住んでいるという設定である。

法乗院(緑の屋根)右隣は陽岳寺

 この三角屋敷というのは実在した。

上:江戸切絵図(国会図書館蔵)
下:google map

上の切絵図を拡大してみる。地図も「三角ヤシキ」とある。

三角ヤシキ!!

 そしてこれが現在の三角屋敷の跡である。

三角屋敷跡

 道路幅を拡張したせいなのか、かなり尖っているが、三角だ。屋敷とあるからには、昔は家があったのかもしれないが、関東大震災の前まではここは法乗院の墓地だったらしい。

 また、三角屋敷と法乗院の間に万年町、平野町という地名が見えるが、寺の前なので通称寺町と呼ばれていた。そしてこの寺町(万年町)に、小仏小平の家があるという設定。小平の家には塩冶浪士の小塩田又之丞がかくまわれている。

 万年町一丁目(現在深川一丁目)には直助屋敷と呼ばれる場所があったという。享保六年[1721]ここに中嶋隆硯という医者の住まいがあり、下僕の直助が隆硯と家族を殺害して金子を盗んで逃走した。隆硯は元の名を小山田庄左衛門といい、赤穂の浅野内匠頭の家来だった。吉良邸討ち入りの前夜に脱落し、大石らが切腹した後剃髪して医者に転身したのだった。盗まれた金子はお家取潰しの際、家老大石内蔵助から配当されたものだった。
 また、同じころ麹町の米屋の主人を殺した奉公人の権兵衛という男がいた。直助と権兵衛は同日処刑されたという。

 この主殺しの直助と権兵衛が、『東海道四谷怪談』の直助のモデル。また小山田庄左衛門が小塩田又之丞の名前の元になっているようだ。


 直助は隠亡堀で拾った櫛を持ち帰った。それを見たお袖は、姉岩の櫛に間違いないという。その上盥の水につけてあるのも姉の着物。そんな馬鹿なと信じない直助。櫛を質に入れて金にしようと言う。お袖は姉に返すのだからと止める。
 直助はお袖の言うことをいったんは聞くふりをして、それでもこっそり持ちだそうとすると、盥の中からぬっと手が出てきて直助の脚をつかむ。驚いて思わず櫛を落とす直助。だが、お袖には手が見えていないのである。
 直助は気味が悪くなって、櫛を質入れするのをあきらめた。

 直助は気分直しに按摩を呼ぶ。按摩は宅悦だった。浅草、四ツ家、深川と、どこでも出没する宅悦である。宅悦はかつて自分の店にいたお袖が直助と夫婦になったことに驚く。だが、直助が律義にも約束を守ってお袖に手を出していないと聞いても、まさかと言って信じない。直助は悪党だが、お袖のことは心底惚れて大事にしているのである。
 宅悦は例の櫛を見て、うっかりお岩の最期を語ってしまう。が、お袖がお岩の妹と知ると、そそくさと逃げ出した。

 思いがけず姉の死を知ったお袖。しかも仇は民谷伊右衛門。
 左門、与茂七、お岩。今や三人の敵を討たなければならなくなったお袖は、晩酌につけた酒を一口飲み、その猪口を直助に差し出す。
「一ツ呑んで下さんせ」
 直助は一口ひっかけ、お袖に同情して酒でも飲まなければやりきれないだろうと言うと、お袖はきっぱりと、「いえ、これは女の方から差した杯」
 本当の夫婦になろうというのである。直助は驚くが、お袖の気持ちは固まっている。嬉しい直助である。二人は仇を討とうと言い合い、床についた。

 与茂七は大事な廻文状を探しにやってくる。隠亡堀の暗がりで、とっさに掴んだ鰻掻きに権兵衛の名を見つけ、やっと家を探し当てたのだ。
 声をかけるが、直助はもう閉店だ、売り物はないと断る。与茂七が粘ると、うるさそうに起きて出る直助。与茂七の顔を見て「幽霊だ」と驚く。お袖も出てきて、与茂七を見て驚く。
 直助は自分が殺したのは別人だったと気づくが、そこはごまかす。そして、お袖は今や自分の女房だという。その上、直助は廻文状も持っていないと嘘をつく。

 与茂七は許嫁のお袖が直助と夫婦になったことに驚くが、それより何より大事な廻文状を直助が返さないことで生かしておけぬと思う。
 一方、廻文状の中身を知っている直助は、これを高野邸に持ち込めば褒美が出ると踏んで、与茂七をばらしてしまおうと包丁を手にする。

 二人の男の間で葛藤するお袖は、ある決意をする。



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