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六歌仙のなぞ(0)

はじめに


 つい先日、普段めったに開けない引き出しを整理したところ、ワープロで作った原稿が出てきました。昔、趣味で歴史関係の本や旅先で調べたことをノートに書き溜めて、それを基に自分の考えなどをまとめたものです。「六歌仙のなぞ」というタイトルのそれを久しぶりに読み返すと、われながらよく調べたなと思いました。このまま元の引き出しにしまい込むのもなんだかもったいない気がして、恥を承知で発表することにします。

 ところで、ワープロの本文と一緒に、手書きのメモもありました。そこに、この原稿を書こうとしたそもそものきっかけが書かれていました。そのメモを本シリーズの序文とします。

2000年12月21日の「はじめに」


 それは1988年(昭和53年)のことである。
 当時、私は絶世の美女で 歌の名人といわれながら、ほとんど正体不明の小野小町や、生きながら地獄の冥官になったといわれる小野篁に強く惹かれ、小野氏に関する本を集めたり、二人の遺跡を訪ねる旅に行ったりしていた。
 あるとき、やはり歴史好きで、私に付き合って小野氏の遺跡巡りにも一緒に行ってくれる友人が、「こんなものがあるけど、読んだ?」と言って、雑誌のコピーを見せてくれた。
 それは『歴史街道』に掲載された作家の高橋克彦さんの小野小町に関するエッセイだった。(月刊『歴史街道』1988年9月号「小野小町落魄の真相」PHP研究所)
 そこに記された小町の伝説は私には既知のものだったが、小町もその一員である「六歌仙」に 実はただならぬ秘密があるらしいこと、六人中五人までが惟喬これたか親王、ないし紀氏に関係があることに私は驚き、たちまちひきこまれた。
 「これ、おもしろい!」
 私はコピーを何度も読み返した。高橋さんはすごい。こんなアヤシイことに気付いた人は、他にいるのだろうか?
 しかし、いかんせん短すぎる。9ページの記事の中で、六歌仙に触れたところは後半の2ページ半。しかも、その半分は絵と広告で埋まっている。
 六人の中に一人だけ仲間外れにされているような大友黒主って何者?なぜ、六人の中に入っているの?
 「中途半端で、気持ちワルイ」
 そのうち、歴史推理小説で詳しく書いてくれるに違いないと思っていたが、何年待ってもその気配はない。
 「高橋さんの関心は別の方へ行ってしまったのかしら」
 むしろ、高橋さんの友人でもある井沢元彦さんの方が、いろいろなところで(『逆説の日本史4 中世鳴動編 第一章『古今和歌集』と六歌仙編 小学館文庫)推理を展開しておられるが、ご友人のネタということもあって、幾分遠慮がち。
 それなら自分で調べるしかないと、ぽつぽつと資料を集め、多くの研究に刺激を受け、そうこうしているうちに十年たった。そろそろ自分としての考えをまとめようと、四年ほど前からノートを付け始めて 何となく形になってきた。これが、その成果である。
 しかし、完全に謎が解けたわけではない。まだ、多くの秘密が隠されている。これを読んで一人でも多くなぞ解きに参加してくれる人がいればいいなと期待している。
 紀貫之はわざとあいまいな文章で六人を選んだために、かえって後世の人の目を引き付けた。文芸や舞や演劇と様々なメディアで 千年以上にも渡ってかたられてきた。
 六人を書き記すことで隠された歴史の真実を伝えようとした紀貫之。彼の目論見は、芸能という形で見事に昇華されたのである。


それでは、次回から本文に入ります。

 


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