5人死ぬか、1人死ぬかってやつで議論をすると面白い
物語としてはこんな感じ。結構有名。
歩いていると分岐レバーのある線路がある。
ブレーキの壊れたトロッコが暴走してきた。
このまま進むと、先にいる5人の作業員がトロッコに轢かれて死ぬ。
分岐レバーを引くとトロッコは分岐線に入り5人の作業員は助かるが、分岐線で作業員している1人の作業員が死ぬ。
他にレバーを引く人はいない。
作業員は逃げられない。
トロッコは止まらない。
なにもせず5人が死ぬのを放置するか、レバーを引いて1人を殺すか。って話だな。
なにもしない?
レバーを引く?
なぜなにもしないのか。
なぜレバーを引くのか。
私の知る限り、8割くらいの確率で『レバーを引く』を選択する人が多い。
理由は単純に5人死ぬより1人の方がマシというものだ。
命を数の天秤にかけたってこと。
家族や友人と議論してみて欲しい。
価値観や判断基準を知ることができるし、論理思考ができる人なのかがよくわかる。
まず、命を数を天秤にかけるということは、自分の責任を横に置いといて、死ぬ数で考えたということだと思う。
【私の思考】
自分の行動による責任を考える。
レバーを引いた場合、自分の行動によって、1人の人間の命を奪うことになる。
命を奪われた当事者やその家族からしたら私は殺人者だ。
その損害賠償たるやどれだけのものになるだろう。
また、罪の意識にどれだけさいなまれるだろう。
なにもしなかった場合、5人の作業員の命が奪われることになるが、それは果たして自分の責任なのだろうか?
トロッコは私の存在の有無に限らず暴走しているわけだから、私がなにもせず5人の作業員の命が奪われたとしても、私の責任ではない。
気の毒だとは思うし、もし自分がレバーを引いていたら助けられた!と思うかも知れないが、それはそもそもトロッコのせいだと罪の意識は小さくて済む。
5人の作業員の家族からしても、恨む気持ちはあるだろうが、責任という観点からすれば、私には責任はないと思ってくれるはずだ。
ということで、私は『なにもしない』を選択する。
でもね、ディベートをするとしたら、レバーを引くという立場でも、それなりに正当化する自信はある。
レバーを引くって人。
どう考えるのか知りたいな。
そんな感じ。
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