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私の話

後れ馳せながら軽く自己紹介をしておく。

神戸在住の50代。
お酒が呑めない。スイーツが好き。
嫁とデートするのが趣味。
基本的に三宮・元町あたりをぶらぶらしながら、外食を楽しんでます。

そしてお仕事は

一応会社の代表取締役。
↑コレ自分の会社

もう一つ遠方の会社の専務取締役。
↑コレ立ち上げに協力して結果役員に。

自分の会社のは、コンサルティングをメインにしている。
主に、

  • 組織マネジメント

  • 収益改善

  • 人事考課

  • 起業

が生業としている。

自分自身が商品で、私を買って貰うことが契約になる。
そう高い値段ではない。
食っていければいいので、贅沢は言わない。

もう一つの会社は、介護関係だ。
もともとコンサルティングをしている法人の従業員が独立したいとなって、それを手伝った。
介護の仕事は私にとってはライフワークで、何物にも代えがたい仕事。
直接介護をするわけではないが、そこで働く者にとって、有益になるよう指導していくことが、起業のきっかけになった。

さて、起業して11年目になる。
2013年7月に起業した。

起業のきっかけ

もともと起業する気はなかった。
某IT企業の某事業部長をしていたとき、ある日突然、事業部を大手に売却することが決まった。

役員会での決議結果だけを知らされた。
その結論に至る3年前に事業部長を拝命したわけだが、数年間数億の赤字を垂れ流し続けていた事業部の再生がミッションだった。
約2ヶ月かけて事業の内容や人事、経理、人、をじっくり調査し、3ヶ年の事業計画を作成し、役員会の承認を得た。数字で言えば3年で±ゼロまで持っていくこと。
これがなかなかしんどいミッション。やるしかないよね。

初めての業種だが、やることは一緒。
まずは商品の取捨選択。
次にリストラと人事異動。
初年度でかなりの成果が出た。

順調に事業計画以上に進んでいる最中、3年目の終盤、突然の事業売却。

なぜ私に事前に話がなかったのか。

あれこれ理屈を並べ立てられたが納得できるわけもなく、単なる意地で売却先に行くことを拒んだ。
そんな会社に留まるつもりもなく、辞表を叩きつけることになった。

その後、転職する気もなく、じゃ起業するか!と急遽会社設立。
事業部でやっていた仕事のシステム部分を除いたコンサル部分だけやることにした。

既存顧客に挨拶回りをしていたとき、ある法人のトップが、いきなり仕事をくれた。
補助金も使えることになり、しかも起業したてでは資金も大変だろうと、1年分のコンサル料を前払いで即金。
これがありがたかった。

あとはその資金で軽く宣伝広告。
職員研修やコンサルティング、顧問依頼などがぼちぼち入った。

真面目に仕事を受けるうちに、顧問として組織に入り込み、組織改革を行い、収益改善に取り組むことが多くなってきた。
すると、私一つの体で受けられるのが、月に4件が限界だとわかった。

一件あたりの単価。入れる仕事。終わる仕事を調整しながら、ぼちぼち稼いでいった。

なんと言っても子育てにお金がかからなくなっていたのが救いだ。

そして、コロナがやってきた。
ビタっと仕事が止まった。社内の人でさえ在宅勤務にしていることが多いのに、外部からコンサルを入れるなんてあり得ない。
また、WebMTができるようなコンサルのやり方ではなかったため、ほぼ無収入になった。

1年はコロナが明けるのを待ちながら、自宅で過ごした。しかし、終息の気配がない。
預金を食い潰すのも気が引けるので、派遣の仕事をやってみた。
物流の仕事だ。若者に混ざって、年下のリーダーの指示で力仕事。

ここでまた、いろいろなノウハウを学び、コンサルに活かせるようになった。

コロナが明けると、徐々に仕事が戻ってきてほっとした。
しかし、コロナが明けるその少しまえ、身体の異変で受診をすると、指定難病。
即手術前になった。
完治することはなく、進行を見守るしかない。対症療法で薬漬け。
それでも仕事はしないとね。←イマココ

仕事をセーブしながら、嫁さんと外食を楽しむのが生きる糧。

そんなん私です。

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