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感情にとらわれやすい人へ+雑談

君が哲学者の初心者で、未だに怒りや嫉妬という感情に見舞われるとき、君自身を責めてはならない。

確かに怒りや嫉妬を感じるのは君自身の責任、考え方の問題であるが、君が憂鬱な時、とても疲れている時に我慢ならないのは仕方ないことだ。

その時は、無理に感情を隠そうとするよりも、自分でその感情を自覚して認めなさい。

「今、自分は怒っている」
「今、自分は落ち込んでいる」
「今、自分は羨ましがっている」
と。

そして次に、自分の感情を乱した対象物(人・物・こと)を描写しなさい。

形容詞や副詞は入れずに、主語と述語だけでその人の行動を心で呟くがよい。

そうすると、冷静さを簡単に取り戻し、目の前のものが「我々次第ではないもの」だと気付けてくるはずだ。

2024年3月9日



(あとがき)
哲学に興味を持たれる方は気づかれたと思うんですけど、これは古代の奴隷哲学者であり、ストア派の「エピクテトス」の考えを含めた内容になっています。
(もちろん、文は自論です)

エピクテトス先生のことはショーペンハウアー、老子に並ぶ好きな哲学者の1人です。どんな哲学者の本を読んでも、先生の言葉は厳しくもあり、愛で満ちていると感じます。

最近、哲学書を読んだり、YouTubeで哲学を学んだりして思うことがあります。
それは、古代の西洋哲学や東洋哲学って1番人生において身近だということです。
僕的に古代の哲学の方が大切だなと思えてきてですね、、、

今年は受験生なので自分の進路とか、あと今僕が行きたいのが県外の高専なので、自分の家族との過ごし方とか、勉強との向き合い方とか悩んでいます。
その時にやはり近代の哲学、現代の哲学ってあんま役立たないなと思います。
もちろん両者の哲学はとても面白いし、考え深いですし、自分も考えさせられる問いや理論ばかりで尊敬しかないのですが、この時期に支えてくれたり、励ましてくれたりするのは、古代の哲学者や東洋の哲学者でした。

精神の情緒の浮き沈みも激しいこの時期に大事なのは、どうやって自分の感情をコントロールするのかだとか、自分はどう生きたいのかとかをじっくり考えることだと思います。
そしてそのサポートも大事なのでは思います。
僕にとってそのサポートしてくれる存在の1つが哲学です。

こういう経験(?)を通してより人生哲学の方が大事というか、倫理とかよりもずーっと大切で1人1人が考えなければならない問題なのだと思いました。

最近は少し哲学離れしてます。
本とではなく自分とちゃんと向き合おうと思ったからです。
関心が薄れたわけではないので、今も数冊の哲学書を読んでます。
あと受験に向けて勉強しているので、受験勉強よりも面白い哲学に触れ続けると、勉強しなくなるかもしれないのでですね。

哲学に変わりに勉強に力を入れているのと、宇宙や人類学(脳科学等)の本を再び読みだしました。
化学内の事実は、人間世界における絶対的事実に非常に近いので、哲学との信憑性バランスをとるには科学の本を読むのはいいことかなと思います。

長くなりましたので、今回はこの辺に。

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