10.グノーブルクラス替えテストは憎しみ深く
過剰な競争社会の弊害が叫ばれ幾月年。
極力順位はつけず、ハラスメントは論外、人の嫌がることは避けて避けてと、躾けられてきた我々ですが、グノーブルは華麗にその風潮を無視して突き進んでいる。
9歳10歳の、いたいけな子供に毎月のように定期テスト(以後「グノレブ」と呼ぶ)を課し、クラスのみならず、席順まで順位通り正確に格付けしていく。息子の校舎では、上から順にα、α1、α2、α3、α4…….と呼ばれ、αクラスに所属していれば最難関校合格間違いなし、と塾は囁く。オリジナルはサピックスのシステムなのだそうだが、現在の中学受験塾の多くが採用しているシステム。
しかし幼さとは恐ろしい。息子は直ちに違和感なくこのシステムに適応してしまった。
クラス落ちというのは小学生にとって自尊心がかなり傷つけられるようで、落ちた時の帰り道は見るからに下を向いている。しかし、クラスが上がった時の帰り道では落ちた友達を煽っている。
「今日クラス上がった」
「それは良かった」
「あつしが文系クラス落ちてたからみんなで煽っちゃった」
「煽るってどういうこと?」
「周りでイエーイとか言ったり」
「それはかわいそうだろ」
「まあそうだけど」
どうしても行きたい学校があるから勉強して上のクラスに行ってレベルの高い授業を受けたい、なんてことを自発的に考えている子供はほぼいない。先生に煽られて、同級生に煽られて、親に煽られて、目の前のラットレースを走り続けているだけだ。
その中でも、下のクラスに落ちて奮起できる子供はいい。煽られてやる気が出る子がいる一方で落ち込み続ける子もいる。
「ひろのぶ君の話、最近聞かないけどどうしたの」
「最近会わないなあ、クラス下の方に落ちちゃったんだよね。上がってこれないのかも」
「結構仲良かったじゃない」
「いや、でも会わないから話せないし」
仲良かった子でも、クラスが違うともう話す機会もなくなる。そもそも塾は学校じゃないんだ。休み時間に友達と話す時間は与えられていない。
分かるよ。大人だってそういう付き合い方をする。誰もがいつの間にか階級化されてしまう。
ずっと最上位クラスの最前列に居続ける異能の子もいる。
毎回算数は満点、4年生で既に司馬遼太郎を読み込み、岩石、地層や化学反応についても豊富な知識を有し、ゲームも得意。話せば独自の視点を持っていて大人よりも皮肉が上手だったりする。しかし同時に幼稚な残酷さを持ち合わせている。
「~クラスに居続けるなんてクソだよね。そんなら塾辞めた方がいいよ」
なんてことを平気で大声で話している。
それを聞いて息子も平気で笑っている。
グノーブルで下位のクラスにいても、それは十分に優秀な子供に該当すると思う。あのカリキュラムに耐えられるだけで相当なものだ。真ん中のクラスを維持していたら天才と言ってもいいのではと思う。
でも、子供は小さな箱庭の上下関係で遊ぶ。
我が家庭としては、グノーブルの競争を煽るその覚悟や良し、とその潔さを高く評価して、私はそれを単なるゲームとして息子と一緒に楽しむことにした。そもそも私はそうやって感受性を鈍らせて生きてきた。どうせ人は傷つく。だから自分は仲間と勝手にゲームを楽しむ。
ただ、せめて家庭内では誰かが傷つかない方がいい。それくらいはできるはず。息子が酷い点を取ってクラスが下がっても気にしない、煽らない、怒らない、ということを徹底することにした。
やはり、成績は良い方が気分いいし、成績は上げたくなる。そして、親から見れば、成績を上げる方法は分かる。単純に、苦手分野の勉強時間を増やせばよい。現状、宿題は半分もこなせていないのだから、こなす量を増やせば少しは成績が上がるでしょう。息子にあれもやれこれもやれともっと指示すればいい。
でも我慢するしかない。
この頃は、ここまで宿題やったのか、すごいな!
こんな点が取れるなんて、すげえ頑張っとるな!
褒める言葉以外思いつかないくらいすごい。
お父ちゃんより全然すごい。
これだけを意識して言い続けていた。