猫になりたい

猫のようにしなやかにひっそりと暮らしたい

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区民体育祭への酷道(7)終

ようやく終わった 結局、参加者は虫食いのままにすることにした 前日の夜から雨予報で心配になったが、なんとか順延することなく時差開催となった 順延になれば、テントの再度搬入やお弁当の手配などもやり直しになるのでたまったもんじゃない 当日は応援の方で長年住んでおられる方がアドリブで参加したりと、それなりに盛り上がりはした 場の空気というやつなのかなー そして、本部主催の慰労会など参加するわけもなく その後の自治会の慰労会もバタバタしたけどなんとか形にはなった 結局、準

    • 活きる場所で生きる

      遺伝性の目の病気で、矯正視力で0,1程度 20歳くらいの時にコンビニでバイトしてみたけどアナログの温度計が読めなくて3時間で辞めて、それからいろんな所にお世話になった なんとかやれた時もあったけど、基本的には他人と比較して不安を感じる自分がいると気づく 同じ景色を見ても同じ情報量を得られるわけでもなく、なんとかおいていかれないようにカバーをしようとして疲弊していってしまう 活きる場所、あるのかな? あるといいなー(笑) 今日も、伸びきったパンツのゴムのようななんとも言

      • 区民体育祭への酷道(6)

        区民体育祭までいよいよ1ヶ月を切り、じわりとギアチェンジをする必要があると感じる今日この頃 難関の参加者集めについての動きがあったが、呆然としてしまった 町内へ回覧した募集用紙は軒並み白紙だったのである 何となくは予想していたとは言え、泣けてくる 過去の参加データからお宅訪問する流れになるけれど、どうなることやら… 今の時代に則した何かしらのメソッドやツールでなんとかなればと思う反面、区民体育祭必要ですか?アンケートを実施してみたい所www その内自治会自体が消滅す

        • 分かり合いに至るには

          人と人の間にはいくらかの 隔たりがあると感じる今日この頃 経験、思い入れ、興味関心、主義etc. 形成された自己をベースにするとしたら 衝突や平行線等の何らかの状態に遭遇する どれだけの時間を要するのかはわからないし 生きている間には不可能かも知れないけれど ガンダム00の刹那とマリナのように 分かり合えたと感じるようになりたいと しみじみと感じた

          楽しさの喪失

          楽しいと感じていたことが 楽しいと感じなくなることがある どうでもいいという感じに近い 楽しめた期間や 楽しいと感じなくなるきっかけは様々 新しい楽しみを探すことがしんどい なんでこうなっちゃうかなー もう終わってくれていいと思う

          区民体育祭への酷道(5)

          夏真っ盛りでセミが昼夜を問わず存在意義を激しく主張している今日この頃 いよいよ区民体育祭まで2カ月を切ったという所で、新たな懸念材料が纏わり付くような呻き声を上げて迫って来ている 区民体育祭における町内のテント等の搬入出をしていただける方の目処が立たないかも知れないのである 以前までご厚意でご協力していただいた方々へアプローチを試みるも、お仕事で運搬用のトラックを所有していたのをやめたり、当日に身内の結婚式があったりと難航している 仮にテント等が搬入できないとなると、

          区民体育祭への酷道(5)

          すべてがゼロになる

          良いことも悪いこともセットと考えてみると 加えて減って最終的にはゼロになるのかも知れない しかしながら 体感(脳の感知)としてはどちらも同時にと 言うわけにもいかないように感じる 熱いと冷たいが同時でないように 暑いと寒いが同時でないように 裕福と貧乏が同時でないように 幸福と不幸が同時でないように 生と死が同時でないように 出来事は多面的なのだとしたら どの面を見ようとするのかを 主体的に選択していきたいと 改めて感じた

          すべてがゼロになる

          終わり「だけでも」良ければ…

          やっと終わったーって 解放感を感じる時 とってもほっとする その気持ちは どれだけ終わりを 待ち望んでいたのか?に 比例している気がする あくまで 自分基準での話 終わる時のことを考えて 毎秒毎秒待ち望んでいる 終わり「だけでも」 良くありたいと思う 今日この頃

          終わり「だけでも」良ければ…

          あってよかった、なくてよかった

          状態や出来事が同じでも 受け止め方、感じ方は同じではないと 改めて感じる今日この頃 仮に無関心症とでも命名するとしたら 自分はそんな感じかも知れない 楽しみも苦しみもあると理解していても 何となく全体的に苦しみに塗りつぶされているように感じる 特に人に関係することは 苦しみに繋がりやすい傾向にある 家庭や子どもを授かることが 想像するだけで気が重い とても耐えられそうにない だから選択しようとしない 周りがそういう状態になっても 関心を寄せにくい 子どもの頃の家庭環

          あってよかった、なくてよかった

          ココロノシーソーゲーム

          プラスもマイナスも入り乱れた 複雑怪奇な心の内 物事を勝手に解釈して シーソーの様にギッコンバッタンと 大忙し あくまで感覚でも 時には均衡が取れなくなることもある 他人でも自分でも どうしようもないほどに そんな時もあるさと 口に出してみても 自販機の様に インスタントに作用するわけでもなく 変化までの時間が 何倍にも感じでしまうのが 問題点なんだなーと改めて感じる 今日この頃 夢中になったり没頭できる何かが あればと考えようにも エネルギー不足で どうしようも

          ココロノシーソーゲーム

          楽しさアンテナ

          世の中には発祥時期の今昔に関わらず人が興味を引くものが無尽蔵に日々創造されている スポーツ、芸能、娯楽etc. 幅広く根強いことからコアなことまで千差万別 それぞれに楽しさがあるとしても 自分が楽しいと感じるかは別な話 楽しいと感じることからの人の繋がりもあるけれど 人と繋がりたいから楽しみを見つけるわけでもなくて 周りが楽しいと感じることに対して 自分は無関心であってもいいわけで 楽しさアンテナに引っかからないだけの話 奇異の目で見られたとしても そんな自分が自

          楽しさアンテナ

          何でもいいんだったら、今頃どうなっていたんだろうか?

          衣食住に始まって あれこれと選ぶ機会の日常 具体的な候補が 思い浮かびにくい傾向にある自分 考えることに疲れて 何でもいいやってなりがち それでも 言語ができていないだけで 何でもいいわけではないんだと 改めて感じることがある 少しでも納得できるように ベストでなくても ベターでありたいと思う

          何でもいいんだったら、今頃どうなっていたんだろうか?

          時間感覚

          時間の流れは一定なんだけれど 感じ方が早かったり遅かったりする不思議 自覚はなくても 人生は常にロスタイムの最中 まだ終わってほしくない もう終わってほしい どっちにしてもワガママだけど もしも 自分の時間を譲渡できるなら あっという間に 終わりにできるのかなー

          同窓会どうしようかい?

          同窓会というものがある 久しぶりに会って付き合いを続けていく為の行為 最近、小学校時代の同窓会の連絡がきたが、会いたくないという理由で返事もしていない あいつはどうなってるんだ?って思われてるかも知れない それでも構わない だって会いたくないだから それが自分の本音だから 子どもみたいなことかも知れないけれど、当時の灰色の思い出を掘り起こされたくない し、現在の各人のことに関心も持てそうにない ただ苦痛があるだけ ただ自分を守りたいだけ やりたい人が やりたい人と

          同窓会どうしようかい?