対象を語るということ
例えば、一人の女性を、語るとする
およそ、哲学的にも
心理学的にも
彼女を語ることは出来よう
生きているモノ、いや、生きていないと思うものすら
その個体には、全ての要素が詰まっているのだ
生きる哲学、心理学のメタファーとしても、彼女を談じ得よう
生きて死ぬ、それだけの過程において
ありとあらゆる苦難も試練も歓喜も、
単純にそれらは宗教的である
しかし
仮に、私を誰かが語るとすれば
願わくば
詩的に
音的に
絵的に
それが切り裂かれるような具象であれ、
詩人の音楽家の画家の独断であれ
表現という形態もち、描かれることを
強く願うだろう
仮に私が最も敬愛する詩人が、
彼女は途方も無く醜悪だった
と書いたなら、
間違いなく、感動するに違いないのだ
画家の目に、私が燦々と、或いは鬱々と、
どう描かれようと、真摯に感動するに違いないのだ
ピアニシモをフォルティシモに奏でられようと、
それが音楽家の心に聴こえる私の音なら、
大いに感動するに違いないのだ