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父母生前覚書

実際のところ夏を越したらもう無理だろうと覚悟していました。

主治医曰く

「全く嚥下が出来ません。機能的には出来る筈なのですが、それが出来なくなっていますので、点滴のみに頼っている状態。胃ロウか、喉切開で栄養摂取するかという

選択、或いは、このまま自然に任せるという選択、どちらかでしょう。

手術は・・正直進められません、お母さんの体力がもたないでしょう」

退院前、そう言われました。決断しなくては、そこは緊急病院である為、退院は余儀なくされているわけで、退院後、違う病院に入るか、父の居る施設に戻るか、そこも考慮に入れ、
結局、何もせず父の元へという・・
苦渋の答を出した次第。。

その後、「母を見殺しにするのか」と幾つか抗議の言葉もありましたが・・

わたしは、兎も角、選択しました。

何も分からず、どんどん体力も認知能力も無くなり、

無理矢理、身体に栄養を流し込むという

ー治療ではない延命措置ーに、頷けなかったこともあり、また老人病院なる場所に居を移し、父と別離させることも、両親をみていると、しのびないことでした。


何が正しいのかなんてわかりません。

胃ロウを進める方が圧倒的に多かったのですが・・厭でした、今もその気持ちは

変わらず。。

もう立冬です・

母はまだ生きてくれています。奇跡のようなこの数ヶ月。

病院に入っているときよりは、施設のほうが笑顔が増えているとすら言えます。

逆に、父は、母帰還の折ー

「おぉ、おぉ、戻ったか。もう生きとるお前には会えんかと思いよったぞ!」と

涙こぼして喜んだものの・・

母より衰弱が酷くなっています。体重が40キロを割る寸前です。

最近の父の常套句

「長う生き過ぎたのぅ・・」

この年を越せるかどうか。父の激痩せを気力の低下をみると

不安になります。

がー母の命の選択をしたのです。

もう精一杯、2人の生の力を尊重するだけだと思っております。

今月父の誕生日が来ます。

せめてお祝い出来ればよいと願うばかり。


【覚書として】

★誕生日を迎える前に母が死に
追うように父も逝ってしまいました。